
川越商工会議所
小江戸の名にふさわしい蔵造りの町並みが有名な川越だが、大正時代のハイカラな雰囲気をいまに伝える、洋風建築物も点在している。昭和2年(1927)に建築された川越商工会議所は、その代表格。ギリシャの神殿を彷彿とさせる重厚な外観は一見の価値あり。昭和45年(1970)から商工会議所として利用されている。
- 「本川越駅」から徒歩13分/「川越市駅」から徒歩16分
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小江戸の名にふさわしい蔵造りの町並みが有名な川越だが、大正時代のハイカラな雰囲気をいまに伝える、洋風建築物も点在している。昭和2年(1927)に建築された川越商工会議所は、その代表格。ギリシャの神殿を彷彿とさせる重厚な外観は一見の価値あり。昭和45年(1970)から商工会議所として利用されている。
全国でもめずらしい、蔵造りの建物の電気店。明治時代に建てられた蔵に、昭和レトロな看板などを組み合わせたユニークな外観が目を引く。
老舗菓子店「亀屋」の五代目嘉七氏の隠居所として、大正14年(1925)に建設された。設計は住宅作家として定評のあった保岡勝也。当時の粋を贅沢に取り入れた、洒脱な洋風建築にはため息がもれるばかり。
一番街に並ぶ蔵造り建築のなかで最も古く、寛政4年(1792)に建てられた。国の重要文化財に指定。切妻造、瓦屋根の2階建て、間口6間、奥行4間半の簡素な外観だが、壁の厚さは30cmあり、堂々としている。2階の土格子[どごうし]も印象的だ。店舗で民芸品販売している。
一番街の蔵造りの町並みが形成されたのは、明治26年(1893)の川越大火により、町を建て直す際に耐火建築である蔵造りが採用されたことによる。盗難や火災から守る蔵造りは堅牢で、今も市内で30数棟が残る。バス停「札の辻」の近くに立つ大沢家住宅は大火を免れた江戸時代の建築で、川越の蔵造りとしては唯一の国の重要文化財。川越市蔵造り資料館、山崎美術館、原家(ヤマワ)、宮岡家(マチカン)、小谷野家(フカゼン)など蔵造りの町並み全体が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。中央に立つ旧埼玉りそな銀行の古い洋館や時の鐘とマッチして、独特の雰囲気を作り出している。
特別史跡「埼玉古墳群」を含む公園。日本最大級の円墳・丸墓山古墳や、石室の内部を見学できる将軍山古墳など、園内には9基の大型古墳が点在する。敷地内の「県立さきたま史跡の博物館」では、稲荷山古墳から出土した国宝「金錯銘鉄剣[きんさくめいてっけん]」が展示されている。散策路を歩けば、季節の花も楽しめる。
埼玉古墳群にある将軍山古墳後円部を展示館として公開。残存していた横穴式石室に、出土した遺物の復原模型を当時の状態にして展示している。
丘陵の斜面に無数の穴が開いた奇観で、百穴として古くから知られていた。明治20年(1887)からの発掘調査で古墳時代末期の横穴古墳群と判明し、大正12年(1923)に国の史跡に指定。現在穴は219確認されている、日本最大級の横穴古墳群だ。数カ所の穴には緑色の光りを放つヒカリゴケ(天然記念物)が見られる。構内の埋蔵文化財センターでは勾玉作りができ、子どもたちに人気。
高さ約1.5m、外径79cm、厚さ7.5cmの鐘。寛文11年(1671)、当時の城主・阿部正春が設置したもので、現在でも、毎日6時、12時、18時に澄んだ音を響かせている。現存する鐘は享保5年(1720)に改鋳、鐘楼は嘉永6年(1853)に改築されたもの。岩槻のシンボルになっている。市指定文化財。
室町時代の文明年間(1469~86)に、行田周辺を支配した領主成田氏が築城したといわれる忍城。天正18年(1590)の石田三成の水攻めにも耐えたといわれる名城だ。阿部氏、松平氏などが城主となった城は明治維新の際に壊されたが、現在は外堀跡を整備した「水城公園」があり、「忍城址公園」として整備された本丸跡地には昭和63年(1988)に御三階櫓[ごさんかいやぐら]が再建された。御三階櫓見学は行田市郷土博物館から入場。博物館の常設展示室では、行田市の歴史と文化に触れることができ、櫓内に入れば、最上階の展望室からは城下町行田を一望できる。
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