川越城本丸御殿
川越城は長禄元年(1457)に上杉持朝が築城した。本丸御殿は嘉永元年(1848)に松平斉典により造られたものが一部現存している。埼玉県指定有形文化財に登録されている。
- 「本川越駅」から徒歩25分
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川越城は長禄元年(1457)に上杉持朝が築城した。本丸御殿は嘉永元年(1848)に松平斉典により造られたものが一部現存している。埼玉県指定有形文化財に登録されている。
小江戸蔵里[こえどくらり]は、この場所で明治8年(1875)に創業した旧鏡山酒造の建築物を、当時の面影を残しつつ改修した施設。施設は明治・大正・昭和の時代に建てられた酒蔵を改装し、国の登録有形文化財に指定された、おみやげ処(明治蔵)、まかない処(大正蔵)、ききざけ処(昭和蔵)の3つの蔵と、つどい処(展示蔵)がある。また、昭和蔵は埼玉県内すべての日本酒を取り揃え、有料試飲ができる体験型施設になっている。
小江戸の名にふさわしい蔵造りの町並みが有名な川越だが、大正時代のハイカラな雰囲気をいまに伝える、洋風建築物も点在している。昭和2年(1927)に建築された川越商工会議所は、その代表格。ギリシャの神殿を彷彿とさせる重厚な外観は一見の価値あり。昭和45年(1970)から商工会議所として利用されている。
日本最初の通貨「和同開珎」誕生の元となった、銅が採掘された遺跡。敷地内には大きな貨幣のモニュメントが設置され、撮影スポットになっている。また、ときの朝廷への和銅献上に縁が深いと伝えられる聖神社もすぐそばに。神社の敷地内には貴重な和銅関連の鉱石類が展示されている。
江戸時代、秩父に入る道は「秩父往還」と総称され、熊谷と甲州を結ぶ主要道路の役割を担ってきた。街道沿いには享保年間(1716~36年)に盛んになった織物、「秩父銘仙」の問屋が軒を連ねていたという。現在では、西武秩父駅から秩父鉄道の秩父駅まで、線路の西側に並行する旧秩父往還沿いに当時の名残りが見られる。秩父を代表する養蚕農家であった松本家の3階建ての建物や、現在も醸造を続ける武甲酒造をはじめ、今も古商家が残る。
江戸時代から代々、名主を務めたという新井家の住宅を移築復元したもので、町営の郷土資料館の一部として公開している。江戸中期の築造と推定され、栗板に石を置いた屋根が特徴。国指定の重要文化財。内部も見学でき、当時の生活の様子が分かる。
一番街通りから鐘つき通りに入ったところに立つ、木造の鐘楼。川越城主・酒井忠勝が、寛永年間(1624~44)に建てたと伝えられている。承応2年(1653)、松平信綱の命で改築。高さ16.2m、檜造りの現在の櫓は、明治26年(1893)の大火後に再建されたものだ。電動式で、毎日6時・12時・15時・18時の4回、時を告げている。
丘陵の斜面に無数の穴が開いた奇観で、百穴として古くから知られていた。明治20年(1887)からの発掘調査で古墳時代末期の横穴古墳群と判明し、大正12年(1923)に国の史跡に指定。現在穴は219確認されている、日本最大級の横穴古墳群だ。数カ所の穴には緑色の光りを放つヒカリゴケ(天然記念物)が見られる。構内の埋蔵文化財センターでは勾玉作りができ、子どもたちに人気。
秩父札所の中ではもっとも古い建物といわれる観音堂は江戸初期の造営で、元禄年間に内部の補修を、宝永年間に彫刻の補修を行っている。堂内には宝殿型の厨子があり、観音開きの扉の裏には三十三身と日天、月天、風神、雷神の彫刻がほどこされ、貴重な文化財として保護されている。かつては、願上寺と呼ばれるお寺であったが、廃寺となったため内田家先代が再建し、以降秩父札所で唯一の個人所有の仏堂として、内田家が維持管理をしている。
埼玉古墳群にある将軍山古墳後円部を展示館として公開。残存していた横穴式石室に、出土した遺物の復原模型を当時の状態にして展示している。
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