
真福寺
無住寺のため、納経は光明寺にて。明治37年(1904)に再建。紅梅が有名。札所1番四万部寺より栃谷口から徒歩40分(登り坂)、赤い観音のぼりが見えると真福寺観音堂三間四面のお堂のみ。静寂な中にお巡りの有り難さあり。お巡りしてご朱印のある人は、大棚口の山路を下り40分で光明寺納経所に着く。
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無住寺のため、納経は光明寺にて。明治37年(1904)に再建。紅梅が有名。札所1番四万部寺より栃谷口から徒歩40分(登り坂)、赤い観音のぼりが見えると真福寺観音堂三間四面のお堂のみ。静寂な中にお巡りの有り難さあり。お巡りしてご朱印のある人は、大棚口の山路を下り40分で光明寺納経所に着く。
鎮座2100年の歴史をもつ、秩父地方の総社。現在の社殿は徳川家康の寄進によるもの。本殿・幣殿・拝殿をつないだ、荘厳な権現造だ。左甚五郎作の彫刻「つなぎの龍」「子育ての虎」が有名で、背面にある「北辰の梟[ふくろう]」は学問に霊験あらたかとされている。例祭「秩父夜祭」は、国指定重要無形民俗文化財に指定されており、平成28年(2016)にユネスコの世界無形遺産にも登録された。
本尊の聖観音立像は藤原時代の等身大一木造。桜並木の参道の奥には、享保年間(1716~36)建立の重厚な入母屋造の楼門が立つ。佛像の寺・十王像・十三王像・六地蔵・雷神・風神・雨神・あづかり観音・ふれあい観音・その他多数の佛像が奉安されている。花の寺・椿・桜・桃・藤・花蓮など、四季折々の花が境内に咲く。
弁天池と観音堂が織りなす風景が美しい。寺宝の閻魔大王が爪で彫ったという御手判石は、指紋のような模様が見られる。
鐘撞堂山[かねつきどうやま]の南西に立つ曹洞宗の名刹。永正8年(1511)に開山したと伝えられる。境内裏の山道に沿って500体以上並ぶ五百羅漢をめぐりながら徒歩20分で、釈迦牟尼仏[しゃかむにぶつ]の立つ標高247mの羅漢山に登れる。鐘撞堂山はさらに35分ほど。この羅漢像は天保年間(1830年頃)に寄進されたもの。また、千体荒神[せんたいこうじん]の板碑群が並ぶルートもあり、山頂から復路に利用するとよい。
本尊牛頭天王[ごずてんのう]を祀り、薬師如来を配し、神仏混合の姿を今に残す東日本唯一の遺構。観音堂には聖観世音が祀られる、武蔵野観音の三十三番結願寺。文人墨客の登山も多く、奥武蔵俳句寺としても有名で、多数の句碑が立つ。精進料理、竹笹そば・うどん、三福だんごや季節の甘味が楽しめる。
飯能市名栗渓谷にある観音信仰の霊場。開祖の平沼彌太郎は明治に生まれ、家業の林業経営、名栗村長、埼玉銀行頭取、林業団体役員、参議院議員を歴任したが、観音信仰に篤かった亡母の遺志を継ぎ、生まれ育った名栗の地に鳥居観音を開山した。約10万坪の境内には、高さ33mの大観音や三蔵法師霊骨慰霊塔などの堂塔が点在し、本堂には7つの観音像が祀られている。春はつつじ、秋は紅葉など、埼玉100選でもある境内は花草木に溢れ、山紫水明、幽境たる連峰、四季折々の佇まいは、そのまま観音さまの住まいになられた補陀落山といえるだろう。
小川市街や秩父連山の展望地にある天台宗の古刹。朱塗りの観音堂の信仰が厚く、安産、子育て、厄除の観音として知られる。境内にあった石造法華経供養塔「六面幢」(重要文化財)は、付近で産出する下里石[しもさといし]を6枚組み合わせ笠石を乗せた珍しい塔婆で、収蔵庫に収められている。毎年4月第3日曜には、下里観音縁日が行なわれる。
出雲祝神社の近くにたたずむ小さなほこらで、映画『ホッタラケの島』ではホッタラケの島への入口として登場。稲荷に祈願するとなくした物が戻ってくると伝わり、お礼に生玉子を供えることもあったというユニークなエピソードも。※個人の所有する稲荷社であり個人の敷地内にあるため、迷惑にならないよう配慮を。
源頼朝や徳川家康などに縁の深い、関東最古の大社ともいわれている。国指定重要無形民俗文化財である。土師一流催馬楽神楽が年に6回奉演される。奉演日1月1日、2月14日、4月10日、7月31日、10月10日、12月初酉の日。
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