
善知鳥神社
允恭天皇の御世に善知鳥中納言安方がこの地を治め、天照坐皇大御神の御子の宗像三女神を祀ったのが始まりとされる。また、坂上田村麻呂の東北遠征の大同二年(807)に再建され、寛永18年(1641)には、青森総鎮守の社となった。明治6年(1873)県社となり、青森市発祥の地として崇敬を集めている。
- 「青森駅」から徒歩13分
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允恭天皇の御世に善知鳥中納言安方がこの地を治め、天照坐皇大御神の御子の宗像三女神を祀ったのが始まりとされる。また、坂上田村麻呂の東北遠征の大同二年(807)に再建され、寛永18年(1641)には、青森総鎮守の社となった。明治6年(1873)県社となり、青森市発祥の地として崇敬を集めている。
古くから南部氏の加護を受けた南部藩の総鎮守。貞応元年(1222)に遷宮されたといわれている。現在の本殿は慶安元年(1648)南部重直[しげなお]が建立したもので、本殿、旧拝殿、正門、神明社、春日社は国の重要文化財に指定されている。境内の国宝館では、鎌倉末期作の赤糸緘鎧兜[あかいとおどしよろいかぶと](国宝)など多くの文化財が所蔵されており、見学が可能。
湖に突き出した中山半島の付け根、欝蒼と茂った杉林の中にある。境内のほこらには、十和田湖に住みついていた大蛇を追い払ったという伝説の南祖坊の鉄のわらじが奉納されている。
高野山金剛峰寺[こうやさんこんごうぶじ]の末寺。大鰐の大日様として篤い信仰を集めているが、本尊は大日如来ではなく阿弥陀如来(寺伝大日如来)。高さ2mの木造阿弥陀如来座像(国指定重要文化財)で、鎌倉初期の作といわれ、ヒバ材を使用した寄木造[よせぎづくり]で、金箔が貼られている。
明治43年(1910)築のロマネスク様式の教会。堂内の正面にはオランダの聖トマス教会から譲り受けたというゴシック様式の祭壇がある。床に座って礼拝していたころの名残をとどめ、今も畳敷き。天地創造の様子や弘前の街と岩木山などが描かれたステンドグラスが見ものだ。現在も日曜のミサや結婚式で使われている。
盛雲院では、禅林街で唯一座禅専用の坐禅堂を持ち、予約制で坐禅体験を行っている。凛と静まりかえった堂で、心を清められる。
宝亀11年(780)に岩木山頂に祠が建てられたという古社。平安時代になり山麓の地に社殿が建立された。藩政時代には津軽氏の厚い信仰をうけ、現在の社殿のほとんどは江戸時代初期に再建されたもの。正面に岩木山を望み、杉木立に囲まれた長い参道に楼門(重要文化財)、奥に中門(重要文化財)があり、さらに拝殿(重要文化財)、本殿(重要文化財)が立つ。鎌倉時代の密教道場の構造をもつ社殿には、桃山時代の精巧な彫刻が施され、「奥の日光」とも呼ばれる。
高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場のひとつ恐山。8つの外輪山と宇曽利山湖一帯を総称する名前だ。貞観4年(862)に慈覚大師が開いたといわれる。その境内の中に恐山菩提寺がある。一帯は、地獄谷や賽ノ河原などと呼ばれる白茶け、荒涼とした風景が広がる。
慶長元年(1596)開祖。太宰治が幼いころ子守りに連れられて遊んだ場所で、作品『思ひ出』の中に登場する十王曼陀羅(地獄絵)、後生車がある。
弘前藩4代藩主津軽信政を祀る。広い境内には、正徳2年(1712)に建立された本殿が老木に囲まれて建つ。
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