不退寺
平城天皇が退位後に住んだ萱御所を、孫の在原業平が寺とし、不退転法輪寺と称したという。本堂は鎌倉時代後期の再建。業平自作という本尊聖観音菩薩立像は、耳横にリボンを結んだような装飾がある。レンギョウや椿、カキツバタ、キショウブ、睡蓮、紅葉など四季折々の花が美しい。
- 「新大宮駅」から徒歩18分
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平城天皇が退位後に住んだ萱御所を、孫の在原業平が寺とし、不退転法輪寺と称したという。本堂は鎌倉時代後期の再建。業平自作という本尊聖観音菩薩立像は、耳横にリボンを結んだような装飾がある。レンギョウや椿、カキツバタ、キショウブ、睡蓮、紅葉など四季折々の花が美しい。
奈良時代、吉城川沿いの春日野に造られた氷池や氷室(氷の貯蔵庫)の守り神を祭ったのが始まりといわれ、のちに現在地に移された。製氷・販売業者の信仰が篤く、毎年5月1日には献氷祭を開催。
興福寺の門跡寺院だった大乗院の庭園跡。平成22年(2010)の整備完了後に一般公開された。庭園南側に立つ大乗院庭園文化館からも望める。
春日大社の檜皮葺きの中門と御廊に囲まれて、一間社春日造[いっけんしゃかすがづくり]の4棟が東西に立ち並ぶ。それぞれに祭神の武甕槌[たけみかづち]命、経津主[ふつぬし]命、天児屋根[あめのこやね]命、比売[ひめ]神を祭る。現在の本殿は文久3年(1863)の造替で建てられたもので、その後の造替は国宝指定のため修繕・修理にとどめられている。特別参拝にて中門前より参拝・拝観可能。
東大寺の正門。重層入母屋造の豪壮な門で、高さ約25m。鎌倉復興期に再建された、大仏様[だいぶつよう]の代表的な遺構。阿[あ]・吽形[うんぎょう]の2体の木造金剛力士(仁王)像(国宝)は、運慶[うんけい]・快慶[かいけい]など、慶派仏師一門がわずか69日で制作したと伝わる。
聖武天皇に招かれて唐から苦難の末に渡ってきた鑑真[がんじん]和上が、新田部[にいたべ]親王の旧邸跡を賜り、天平宝字3年(759)に建立した。当初は簡素な建物であったが、朝廷などの寄進により徐々に伽藍を整えていった。境内には、奈良時代建立の国宝の金堂・講堂・鼓楼・経蔵、国指定重要文化財の礼堂・御影堂など、災禍を免れた建物が創建時の姿をよく残している。御影堂の国宝・鑑真和上像は日本最古の肖像彫刻として知られる。境内には「若葉して御眼[おんめ]の雫拭[しずくぬぐ]はばや」の芭蕉句碑も立つ。
當麻曼荼羅で知られる中将姫ゆかりの寺で、藤原豊成・中将姫父子の墓がある。観音堂の子安観音像は乳児を抱き上げた珍しい姿をしており、我が国最古の子安観音といわれる。
東大寺の末寺で、鎌倉時代の創建。本尊の五劫思惟[ごこうしゆい]阿弥陀如来坐像(重要文化財)は、頭の螺髪[らほつ]が長く伸びた珍しい姿で、鉢を被ったようにも見える。五劫とは途方もなく長い時間のことで、その間衆生の救済をひたすら考え続け、髪が伸びたのだという。本尊開扉は8月1~11日のみだが、その他の期間でも事前に連絡すれば拝観できる。
興福寺にある、高さ約50mの塔。古塔としては京都・東寺の五重塔に次ぐ高さで、奈良のシンボルとして親しまれている。天平2年(730)、光明皇后によって創建されたが、たびたび焼失。現在の塔は6度目の再建だ。室町時代の建築ながら、東金堂と同様、天平様式を踏襲している。現在は約120年ぶりの修理工事が進められ、令和13年(2031)3月までの予定となっている。
興福寺にはかつて3つの金堂があり、これは東に位置するから東金堂。神亀3年(726)に聖武天皇の発願で建立されたが、現在の堂は応永22年(1415)に天平様式で再建されたもの。堂内には本尊薬師如来像(重要文化財)と脇侍の日光・月光両菩薩像(重要文化財)、十二神将像(国宝)、四天王像(国宝)、文殊菩薩像(国宝)などを安置する。
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