
南島原市口之津歴史民俗資料館
有明海で唯一の天然良港であったが故に、歴史上三度の大きな繁栄を迎えた港の様子を紹介する観光客専用の施設となっている。
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有明海で唯一の天然良港であったが故に、歴史上三度の大きな繁栄を迎えた港の様子を紹介する観光客専用の施設となっている。
オランダ坂に面して並ぶ7棟の木造建築の洋館。明治20年代後半に賃貸住宅等として建てられたもので、7棟のうち6棟が見学できる。東山手地区町並み保存センターでは、外国人居留地時代の様子を写真やビデオで紹介。3棟を利用した古写真資料館は、写真の開祖・上野彦馬の資料や明治・大正期の長崎に関する写真を多数展示している。埋蔵資料館では、江戸時代の遺跡の出土品などが見学できる。国際交流の拠点でもある東山手「地球館」cafe slowでは身体にやさしいランチやスイーツなどを提供。
東山手洋風住宅群にある資料館。写真の開祖上野彦馬[うえのひこま]の資料や明治・大正期の長崎に関する写真を多数展示する。所要15分。市指定有形文化財に指定されている。
若宮稲荷神社そばに移設された資料館。上野彦馬が撮影した幕末の志士たちの写真や、「五箇条の御誓文」の元になったと言われる「新政府綱領八策」の原文写しなどファン垂涎の資料約150点が展示されている。平成30年(2018)3月に改修工事を行い、屋根、床、天井の補修、そして正面玄関廻りの拡張やバリアフリー化など、崩れかけたあばら家が少しきれいになって、出入りしやすくなった。
明治元年(1868)に建設された三角屋根が目印のこの洋館は、ロシア領事館として使用されていたもの。東山手地区では、当時の領事館で現存する最古の建物であり、その後はアメリカの領事館やアメリカ宣教師の住宅に使用された。幅の広い廊下やゆったりとしたベランダなどに、領事館時代の面影を見ることができる。現在は私学歴史資料館となっていて、居留地時代の私学の歴史を今に伝えている。所要20分。
長崎市外海地区の先史時代の遺跡や中世の神浦氏の歴史、近世の大村・佐賀両藩時代の潜伏キリシタンの歴史・文化などを解説・紹介。1階の展示室では、昔使われていた漁具や農具、機織やむしろ編みなどの道具、生活道具などを展示。昔の農家内部や鍛冶屋の復元展示もある。外海地区の発展に貢献したド・ロ神父の指導による道具類や技術の活用状況もよく分かる。外海の石積み集落景観はパネルや映像で紹介。2階には外海地区インフォメーション施設があり、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に関する資料やキリスト教の歴史が分かる資料を展示。16世紀前半の山城・神浦城跡、縄文・弥生時代の砂丘遺跡である出津遺跡や黒崎地区にある宮田古墳群の出土品なども展示されている。
大瀬戸地区の史跡から出土した縄文時代の石器・石斧などの遺物や、自然・民俗に関する貴重な資料を集めた資料館。ホゲット石鍋製作所跡から出土した平安時代末期~室町時代の石鍋は必見だ。所要30分。
長崎奉行所立山役所の建物を同じ場所に一部復元整備。長崎奉行所の役割と近世長崎の海外交流史を、歴史・美術・工芸資料や映像などを通して紹介している。南蛮屏風や解体新書、踏み絵、シーボルトが実際に使用した医療器具などを常設展示している。
平成3年(1991)9月15日の雲仙普賢岳の大火砕流で、付近の民家など約150棟とともに被災 し、火砕流遺構として保存されている2階建ての校舎。最大級の火砕流の発生による熱風の直撃を受けて炎上した校舎は、当時の状態をそのまま留めており、外観だけでもその凄まじさに圧倒される。校舎内に入れば、焼け焦げた教室内に散乱する机や椅子などを見学することができ、一瞬にして学校全体を焼き尽くした火砕流の恐ろしさを実感できる。校庭のイチョウは同じく焼かれたが、翌年には芽を吹き復活した。隣接の大野木場砂防みらい館と併せて見学を。
長崎の伝統工芸品、べっ甲細工の技術と技能を保存するために設置された施設。館内にはべっ甲細工の作品が約300点展示され、漆黒の躍動的な天馬やタイマイの飴色のところだけを使った宝船などは見応えがある。建物は、平成14年(2002)に修理復原した旧長崎税関下り松派出所(重要文化財)を利用している。
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