
牛窓海遊文化館
明治時代に建てられた旧牛窓警察署の本館を利用した資料館。江戸時代、牛窓に12回寄港した朝鮮通信使の衣装や、当時の町を描いた絵画などの貴重な資料は朝鮮通信使資料室で。岡山県指定重要有形民俗文化財の船型山車は、だんじり展示室で見られる。所要20分。
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明治時代に建てられた旧牛窓警察署の本館を利用した資料館。江戸時代、牛窓に12回寄港した朝鮮通信使の衣装や、当時の町を描いた絵画などの貴重な資料は朝鮮通信使資料室で。岡山県指定重要有形民俗文化財の船型山車は、だんじり展示室で見られる。所要20分。
江戸後期、製塩業と新田開発で財を成した野崎武左衛門が、天保4年(1833)頃から建築した大庄屋屋敷。約3000坪の敷地には、枯山水の庭園、約42mの奥行きがある主屋、表書院、土蔵、茶室などが点在。水琴窟の音色も楽しめる。雄大な規模の上層民家で屋敷全体の構成も貴重なため、国の重要文化財に指定。併設の野崎家塩業歴史館では、塩業資料や民具を展示している。塩作り体験可(無料、要予約)。
吉備津彦命が温羅との戦いに備えて石の楯を築いたとされる場所。実際には弥生時代後期の墳丘墓で頂上に5つの巨石が立っており、朱が敷かれた木棺や鉄剣などが発掘された。国史跡に指定されている。
大正6年(1917)に倉敷町役場として建てられた洋風建築。現在は観光案内所として観光ガイドや観光施設などの紹介を行うほか、無料休憩所として自動販売機やコインロッカー、トイレを備えている。
旧矢掛本陣から約400m東にある。金融業で財をなした高草家は、江戸時代末期に本陣の予備的施設である脇本陣に指定された。高草家には家老らが宿泊したといわれ、出格子を構えた屋敷の奥には茶室や白壁の土蔵群が並んでいる。※高草家の高は正式には「はしごだか」。
津山城跡の東を流れる宮川から東にかけての旧出雲街道周辺の古い町並みが、重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、なまこ壁、防火用の袖壁のある家が軒を並べている。敵が侵入してきた時に行き止まりと思わせて欺くために整備された鍵型に折れて続く道沿いには、作州城東屋敷、箕作阮甫旧宅の史跡や城東むかし町家などのみどころがある。また、映画『男はつらいよ』をはじめ、ロケ地としても知られる。
武蔵の里にあり、武蔵が少年期を過ごしたところ。昭和時代に焼失し、昭和17年(1942)に現在の瓦葺の建物となる。隣接するかやぶき屋根の平尾家は武蔵の姉おぎんの次男が住み、武蔵家を相続したという。ともに見学は外観のみ。
寛文10年(1670)、岡山藩主・池田光政が創設した学問所。日本最古の庶民のための公立学校として開設され、武士も庶民も平等に教育を受けた。椿山(椿谷)と石塀に囲まれた敷地内には、元禄14年(1701)完成の国宝の講堂を中心に、聖廟や飲室、閑谷神社などが立ち、多くの建造物が国指定重要文化財。磨き込まれた講堂の床や、史跡を囲む石塀、備前焼の屋根瓦などが印象的。国指定特別史跡で、備前焼が日本遺産の一つに認定されたことから、備前焼の屋根瓦を持つ旧閑谷学校も構成文化財となり、日本遺産のダブル認定となった。各ポイントでのQRコードを使った多言語の史跡ガイドも好評。
旧閑谷学校の入口・校門(鶴鳴門)の正面に立つ儒学の祖・孔子を祀る建物。旧閑谷学校の中で最も重要な施設であり、「孔子廟」、「西御堂」とも呼ばれる。本殿にあたる入母屋造の大成殿は貞享元年(1684)の建築で、国指定重要文化財。大成殿内部には朱塗りの厨子が置かれ、金銅製の孔子像が安置してある。毎年10月下旬には孔子の徳を称える「釈菜[せきさい]」の儀式が行われる。
日生諸島最南端の島で、江戸時代に池田藩の番所が置かれた。国の文化建造物に指定された元禄防波堤、御用船に飲水を提供した六角大井戸、昭和61年(1986)に復元された燈籠堂などの史跡が残る。南海岸の遊歩道には勘三郎洞窟などの洞窟や奇岩が続く。
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