
紺屋川美観地区
高梁の美観地区として、ぜひ訪れたいスポット。高梁川に流れ込む伊賀谷川に沿い、桜と柳の美しい並木が続く。この伊賀谷川はもともと備中松山城の外堀だったもの。橋のたもとには石灯籠や恵比寿神社があり、藩校有終館跡や岡山県下最古の高梁基督教会堂といった見どころも川沿いに多数立ち並ぶ。
- 「備中高梁駅」から徒歩15分
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高梁の美観地区として、ぜひ訪れたいスポット。高梁川に流れ込む伊賀谷川に沿い、桜と柳の美しい並木が続く。この伊賀谷川はもともと備中松山城の外堀だったもの。橋のたもとには石灯籠や恵比寿神社があり、藩校有終館跡や岡山県下最古の高梁基督教会堂といった見どころも川沿いに多数立ち並ぶ。
明治40年(1970)に建てられ、平成2年(1990)まで使用されていた。迎賓館を思わせる明治のモダンな小学校舎。豪奢な洋風建築は檜材の格天井、幅広の回り階段など宮大工による丁寧な造り。
明治時代に建てられた旧牛窓警察署の本館を利用した資料館。江戸時代、牛窓に12回寄港した朝鮮通信使の衣装や、当時の町を描いた絵画などの貴重な資料は朝鮮通信使資料室で。岡山県指定重要有形民俗文化財の船型山車は、だんじり展示室で見られる。所要20分。
日生諸島最南端の島で、江戸時代に池田藩の番所が置かれた。国の文化建造物に指定された元禄防波堤、御用船に飲水を提供した六角大井戸、昭和61年(1986)に復元された燈籠堂などの史跡が残る。南海岸の遊歩道には勘三郎洞窟などの洞窟や奇岩が続く。
新田や塩田開発で財を成し、幕末には庄屋も兼ねていたほどの豪商だった大橋家。主屋は五本格子の倉敷窓を持つ厨子2階建てで、国の重要文化財。代官所の許可がなければ建てられなかった長屋門を構えていることから格式の高さを感じとれる。
旧矢掛本陣から約400m東にある。金融業で財をなした高草家は、江戸時代末期に本陣の予備的施設である脇本陣に指定された。高草家には家老らが宿泊したといわれ、出格子を構えた屋敷の奥には茶室や白壁の土蔵群が並んでいる。※高草家の高は正式には「はしごだか」。
鳥取藩主が参勤交代の折に本陣として利用した大原本陣が現存する旧因幡街道の宿場町。御成門と数寄屋造の御殿が当時の姿を伝える。近くには脇本陣もあり、観光案内所では休憩もできる。また、造り酒屋で予約すれば酒蔵見学ができ、試飲も可能。ひなまつりでは60軒の民家にひなが飾られ、夏祭りや秋祭りなど舞台は華やかになる。
瀬戸内海を航行する船舶の標識として、牛窓に初めて燈台が建設されたのが17世紀後半。明治時代に撤去されたが、昭和63年(1988)に現在の位置に再建された。港町ならではの風景と、風情ある木造建築のコントラストは必見。
閑谷学校の講堂で、元禄14年(1701)の建立。旧閑谷学校の中央に位置し、国宝に指定されている講堂は、入母屋造に錣[しころ]屋根の堂々とした構え。建立当初は茅葺きだったが、その後の改築時に備前焼瓦に葺き替えられた。大きな花頭窓を配し、ケヤキの丸柱で支えられた内室の磨き抜かれた床板は、まさに儒学の殿堂にふさわしい清浄な雰囲気を醸し出している。藩主が使用していた数寄屋造の小斎や教室として使われた習芸斎、飲室、文庫は国指定重要文化財。
倉敷美観地区の本町通りに面して立つ鉄筋コンクリート造り2階建ての西洋建築の建物。大原孝四郎が設立した旧倉敷銀行本店の跡地に、大原孫三郎によって建築された第一合同銀行倉敷支店で、大正11年(1922)の完成。設計は倉敷ゆかりの建築家薬師寺主計。ステンドグラスの窓や、前面・側面に柱をもつルネサンス様式の建物は、市の重要文化財となっている。平成28年(2016)まで中国銀行倉敷本町出張所として使用されていたが、現在は外観見学のみ可能。
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