井山宝福寺
室町時代の画聖雪舟が幼い頃に修行し、涙でネズミの絵を描いたという伝説で有名。境内には禅宗式の七堂伽藍が完全な形で残されており、特に岡山県下で2番目に古い三重塔は南北朝時代の様式を今に伝える貴重なもので、国の重要文化財に指定されている。
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室町時代の画聖雪舟が幼い頃に修行し、涙でネズミの絵を描いたという伝説で有名。境内には禅宗式の七堂伽藍が完全な形で残されており、特に岡山県下で2番目に古い三重塔は南北朝時代の様式を今に伝える貴重なもので、国の重要文化財に指定されている。
備前國一宮であり、桃太郎伝説と神楽・備前刀のふるさとの一宮としても知られる。御祭神の大吉備津彦命は吉備国を治めたことから、昔話、桃太郎のモデルとしても有名。御社殿は磐座を祀る御神体山である吉備中山の東麓に鎮座し、吉備津彦命の屋敷跡に建てられたとされる。平成30年(2018)5月に「桃太郎伝説」の生まれたまちおかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~の構成文化財として日本遺産に認定。御神刀である桃太郎祐定(岡山県指定重要文化財)は刃長が三尺を超える大太刀で、刃文は神心乱といわれ「神により人心を平らかにする」という平和への祈りがこめられていると伝わる。旧岡山藩主池田家とゆかりが深く、輝武命(池田信輝公)と火星照命(池田輝政公)を祀っており、秋季大祭では備州岡山城鉄砲隊による古式砲術神事が行われている。
伊部地区の総鎮守。参道には備前焼の陶板が敷かれ、屋根瓦や狛犬も備前焼。塀にも現代の備前作家が奉納した陶板が張られている。拝殿に宮獅子のレリーフが有り、境内にはえびす様・大黒様の陶像が信仰を集めている。
奈良時代、国家鎮護を祈願する聖武天皇によって建立されたが、南北朝時代に焼失。現在の建物は江戸時代中期に再建されたもの。境内西にそびえる五重塔(重要文化財)は吉備路のシンボル的存在。高さ34m、3層目までがケヤキ、4~5層目は松を主体に造られている。初層の軒下に細かく彫られた十二支も見ておきたい。東側の広場では、毎年4月29日に吉備路れんげまつりが開催される。
標高37mの鶴形山に鎮座し宗像三女神を祀る倉敷の鎮守。境内の絵馬殿からは美観地区を一望できる。境内北側にある阿知の藤は岡山県指定天然記念物、また、倉敷市花に制定されている。曙藤という品種の中では日本一古く大きいものであり、樹齢は300~500年とも言われてる。5月には藤見の会が開催され、お茶席や藤棚の下で雅楽演奏等も行われる。10月の秋季例大祭は、土曜に祭典、車輌巡幸・神賑いを行い、翌日曜には200人余の御神幸行列が御神輿と共に市街を巡行する。
正平2年(1347)に創建された法華宗の古刹。港が一望できる高台にあり、江戸時代には客殿が朝鮮通信使の宿泊所にあてられた。客殿内の謁見の間にある、長さ4.5mの欅[けやき]の一枚板でできた床板は必見。本堂・中門・番神堂は国の重要文化財、三重塔と祖師堂は県の重要文化財に指定されている。国内唯一といわれる海辺の三重塔は、海側からの眺めもよい。
吉備武彦命=若日子建吉備津日子命の子(吉備津彦命に間行) を祀る社。伝説では祭神=吉備津彦命の矢と温羅の投げた石が当たって落ちた場所。この戦いはなかなか決着がつかなかった。境内の巨石は温羅が投げた石だとか。
プロテスタント教会としては同志社礼拝堂についで古く、明治22年(1889)竣工。岡山県指定文化財CLEVE(1890年製造)とYAMAHA(19247年製造)オルガンは必見。撮影やレトロブライダルなどは要相談。
足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つ。本尊は聖観世音菩薩で、備中西国第5番瀬戸内観音第13番の札所でもある。慶長9年(1604)頃に造られたという庭園(名勝)は、小堀遠州作の蓬莱式枯山水様式で、愛宕山を借景に白砂敷きの中央に鶴島、後方に亀島を置き、サツキの大刈り込みで青海の波を表現している。座敷に座って鑑賞することができ、サツキが見ごろになる5月下旬から6月上旬がいちばんの見頃だが、雪をかぶった冬の景観も美しい。毎年秋には小堀遠州を顕彰するお茶会が催される。
温泉街の中央に位置する薬師堂。失くしたものが返ってくるお薬師様として信仰を集めている。
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