津山市城東伝統的建造物群保存地区
津山城跡の東を流れる宮川から東にかけての旧出雲街道周辺の古い町並みが、重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、なまこ壁、防火用の袖壁のある家が軒を並べている。敵が侵入してきた時に行き止まりと思わせて欺くために整備された鍵型に折れて続く道沿いには、作州城東屋敷、箕作阮甫旧宅の史跡や城東むかし町家などのみどころがある。また、映画『男はつらいよ』をはじめ、ロケ地としても知られる。
- 「津山駅」から徒歩23分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
津山城跡の東を流れる宮川から東にかけての旧出雲街道周辺の古い町並みが、重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、なまこ壁、防火用の袖壁のある家が軒を並べている。敵が侵入してきた時に行き止まりと思わせて欺くために整備された鍵型に折れて続く道沿いには、作州城東屋敷、箕作阮甫旧宅の史跡や城東むかし町家などのみどころがある。また、映画『男はつらいよ』をはじめ、ロケ地としても知られる。
武蔵の里にあり、武蔵が少年期を過ごしたところ。昭和時代に焼失し、昭和17年(1942)に現在の瓦葺の建物となる。隣接するかやぶき屋根の平尾家は武蔵の姉おぎんの次男が住み、武蔵家を相続したという。ともに見学は外観のみ。
瀬戸内海を航行する船舶の標識として、牛窓に初めて燈台が建設されたのが17世紀後半。明治時代に撤去されたが、昭和63年(1988)に現在の位置に再建された。港町ならではの風景と、風情ある木造建築のコントラストは必見。
旧閑谷学校の入口・校門(鶴鳴門)の正面に立つ儒学の祖・孔子を祀る建物。旧閑谷学校の中で最も重要な施設であり、「孔子廟」、「西御堂」とも呼ばれる。本殿にあたる入母屋造の大成殿は貞享元年(1684)の建築で、国指定重要文化財。大成殿内部には朱塗りの厨子が置かれ、金銅製の孔子像が安置してある。毎年10月下旬には孔子の徳を称える「釈菜[せきさい]」の儀式が行われる。
江戸時代中期から後期にかけて、近習役や番頭役などを務めた武士の住宅。松山城下の武家屋敷としては寺院建築や数寄屋風の要素を取り入れた珍しい造りで、市の重要文化財に指定されている。
高梁の美観地区として、ぜひ訪れたいスポット。高梁川に流れ込む伊賀谷川に沿い、桜と柳の美しい並木が続く。この伊賀谷川はもともと備中松山城の外堀だったもの。橋のたもとには石灯籠や恵比寿神社があり、藩校有終館跡や岡山県下最古の高梁基督教会堂といった見どころも川沿いに多数立ち並ぶ。
明治時代に建てられた旧牛窓警察署の本館を利用した資料館。江戸時代、牛窓に12回寄港した朝鮮通信使の衣装や、当時の町を描いた絵画などの貴重な資料は朝鮮通信使資料室で。岡山県指定重要有形民俗文化財の船型山車は、だんじり展示室で見られる。所要20分。
閑谷学校の講堂で、元禄14年(1701)の建立。旧閑谷学校の中央に位置し、国宝に指定されている講堂は、入母屋造に錣[しころ]屋根の堂々とした構え。建立当初は茅葺きだったが、その後の改築時に備前焼瓦に葺き替えられた。大きな花頭窓を配し、ケヤキの丸柱で支えられた内室の磨き抜かれた床板は、まさに儒学の殿堂にふさわしい清浄な雰囲気を醸し出している。藩主が使用していた数寄屋造の小斎や教室として使われた習芸斎、飲室、文庫は国指定重要文化財。
約200年前に建てられた藩家老格、160石取りの渡辺家の屋敷。白壁に囲まれた敷地は250坪、長屋門、母屋、土蔵などが残る。質素な造りが印象的。
大原家の別邸として昭和3年(1928)に創建された。大原美術館の本館と同じ建築家・薬師寺主計の設計で、欄間や襖の取手のデザインは、洋画家の児島虎次郎が手掛けた。春・秋の有隣荘特別公開の際に入館できる。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。