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淡路島は、江戸時代以降徳島・阿波藩の領地となったが、蜂須賀正勝と義兄弟であった稲田植元の子孫に洲本城を任せたため、明治の廃藩置県まで稲田氏が治めた。洲本城下の堀端に立つお登勢像は、船山馨の小説『お登勢』の主人公。明治維新前の庚午事変を乗り越え強く生きた女性として描かれている。
『夢千代日記』にちなんで、荒湯のすぐ近くに立つ。モデルは主人公を演じた吉永小百合。春来川沿いには、夢千代の出演者や有名人の手形が刻まれている。
神宮寺の飛び地境内に歴代住職の墓と並んで建ち、向かって右側の五輪塔が武将・梶原景時の墓と伝えられる。鎌倉時代前期に建立されたと考えられ、石材はこすると松の香りがするという松香石。
明治45年(1912)完成し、約100年もの間、山陰の交通を支えた朱色の橋「余部鉄橋」が、安全性・定時性確保のため、平成22年(2010)8月コンクリート橋に架け替えられた。余部鉄橋同様、「空中列車」としての眺望も美しく、新たな余部のシンボルとなっている。餘部駅へは急な細い山道が続くため、車では行けない。余部鉄橋の橋脚は、駅側3本が現地保存されていて、展望施設「空の駅」として活用されている。平成29年(2017)11月、空の駅へと続くエレベーター「余部クリスタルタワー」が完成。
「淡路廃帝」と呼ばれる淳仁天皇の御陵・淳仁天皇陵。天平宝字2年(758)に第47代天皇に即位したが、仲麻呂の乱が起こり皇位を奪われ淡路島に幽閉された。天平神護元年(765)に逃亡を企てたが捕まりその翌日に33歳で崩御した。天皇陵から南へ1kmほど離れた左手に生母当麻夫人の墓がある。
戦国時代の城郭様式を色濃く残し、国の史跡にも指定されている三熊山山上にある城跡。東西800m、南北600mの範囲に総石垣造の曲輪が残る。大阪湾や紀淡海峡などを望む眺望も良好。
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