篠山城跡
慶長14年(1609)に徳川家康が築城の名手・藤堂高虎に縄張りを命じ、池田輝政に総指揮を捉せてわずか6カ月余りで築かせた平山城。明治時代の廃城令で建物の大半が取り壊されたが、城跡二の丸の本格木造建築の大書院のみが残り小学校などとして使われ続け、昭和19年(1944)に失火で消失。平成12年(2000)に復元再建された。狩野派の屏風絵を転用した障壁画などを展示。雄大な石垣を囲む外堀の周辺は桜の名所でもある。
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慶長14年(1609)に徳川家康が築城の名手・藤堂高虎に縄張りを命じ、池田輝政に総指揮を捉せてわずか6カ月余りで築かせた平山城。明治時代の廃城令で建物の大半が取り壊されたが、城跡二の丸の本格木造建築の大書院のみが残り小学校などとして使われ続け、昭和19年(1944)に失火で消失。平成12年(2000)に復元再建された。狩野派の屏風絵を転用した障壁画などを展示。雄大な石垣を囲む外堀の周辺は桜の名所でもある。
城崎温泉街に点在する24点の文学碑のうちの一つ。『若菜集』や『破壊』で知られる文豪・島崎藤村の文学碑には、紀行文『山陰土産』の書き出しの文言が刻まれている。明治から昭和にかけて詩人、小説家として活躍した藤村は、昭和2年(1972)の55歳の頃、大阪朝日新聞の依頼で、城崎温泉から島根県津和野まで旅行し、その紀行文『山陰土産』を連載した。碑はJR城崎温泉駅駅前の飲泉場のそばにある。
城崎温泉の温泉街に建てられた24点の文学碑のうちの一つ。「一の湯」横の足湯近くに配された句碑には、昭和5年(1930)に城崎を訪れ、大正・昭和に活躍した歌人・与謝野寛・晶子の短歌が夫婦仲よく紹介されている。足湯を楽しみながらチェックしよう。
平成11年(1999)4月、大石良雄宅跡長屋門の斜め向かいに解体・復元され一般公開された。源八は藩の重職を務め、大石家と親戚関係だったが、討入りには加わっていない。
戦国時代の城郭様式を色濃く残し、国の史跡にも指定されている三熊山山上にある城跡。東西800m、南北600mの範囲に総石垣造の曲輪が残る。大阪湾や紀淡海峡などを望む眺望も良好。
淡路島は、江戸時代以降徳島・阿波藩の領地となったが、蜂須賀正勝と義兄弟であった稲田植元の子孫に洲本城を任せたため、明治の廃藩置県まで稲田氏が治めた。洲本城下の堀端に立つお登勢像は、船山馨の小説『お登勢』の主人公。明治維新前の庚午事変を乗り越え強く生きた女性として描かれている。
神宮寺の飛び地境内に歴代住職の墓と並んで建ち、向かって右側の五輪塔が武将・梶原景時の墓と伝えられる。鎌倉時代前期に建立されたと考えられ、石材はこすると松の香りがするという松香石。
「淡路廃帝」と呼ばれる淳仁天皇の御陵・淳仁天皇陵。天平宝字2年(758)に第47代天皇に即位したが、仲麻呂の乱が起こり皇位を奪われ淡路島に幽閉された。天平神護元年(765)に逃亡を企てたが捕まりその翌日に33歳で崩御した。天皇陵から南へ1kmほど離れた左手に生母当麻夫人の墓がある。
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