桶狭間古戦場伝説地
永禄3年(1560)5月19日、2万5000とも言われる大軍で尾張に侵攻した今川義元を、小勢の織田信長が討ち取ったとされる桶狭間の戦い跡地。この戦いを機に信長の武勇は全国的に広まり、天下統一に向けた覇道への第一歩となった。昭和12年(1937)に国指定史跡に。地内には往時を偲ぶ今川義元公の墓や石碑などが残されている。
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永禄3年(1560)5月19日、2万5000とも言われる大軍で尾張に侵攻した今川義元を、小勢の織田信長が討ち取ったとされる桶狭間の戦い跡地。この戦いを機に信長の武勇は全国的に広まり、天下統一に向けた覇道への第一歩となった。昭和12年(1937)に国指定史跡に。地内には往時を偲ぶ今川義元公の墓や石碑などが残されている。
昭和を代表する建築家・堀口捨己の監修によって築造された日本庭園。織田信長の弟の織田有楽斉[うらくさい]が京都の建仁寺に創建した国宝茶室「如庵」[じょあん]や、国指定重要文化財「旧正伝院書院」[きゅうしょうでんいんしょいん]が見られる。如庵は昭和11年(1936)に国宝に指定された茶道文化史上貴重な遺構で、京都の山崎妙喜庵の待庵、大徳寺龍光院の密庵とともに国宝茶席三名席の一つ。昭和47年(1972)に現在の地に移築され一般公開されている。
江戸末期の公家の邸宅で、茶室と書院からなる。西尾城の櫓や手入れの行き届いた庭を眺めながら抹茶450円(季節の和菓子付)が楽しめる。二之丸丑寅櫓と屏風折れ土塀も復元された。
徳川家のルーツといわれる松平氏発祥の地。一帯は松平氏遺跡として国の史跡に指定されている。郷内には松平家の産湯の井戸や家康公を奉った松平東照宮、松平家にまつわる品々を展示する松平郷館、松平氏菩提寺の高月院などがあり、じっくりと史跡めぐりが楽しめる。また、「徳川家康公400年祭」を記念して、松平東照宮の天井が見事に生まれ変わった。季節の草花を題材にした色鮮やかな108枚の漆絵は、表面的な美しさだけでなく、大自然の本質的な「美」をうつし描かれている。
名古屋城を中心に恵方が巡る尾張四観音のひとつ。玉照姫(たまてるひめ)と藤原兼平(ふじわらのかねひら)を巡り合わせた観音さまを祭ることから、厄除けのほか、縁結び祈願で訪れる人も多い。本堂の東前側には、玉照姫・兼平公夫妻をお祭りする玉照堂もある。
博物館明治村内に移築されている、工部省品川硝子製造所を利用した洋風バー。まだ電気が珍しかった時代に誕生したことから名付けられたカクテル「デンキブラン」300円~が楽しめる。このほか博物館明治村内では、当時のレシピをもとに再現・アレンジしたグルメも楽しめる。
博物館明治村に保存・展示されている建造物。三重県の県令(現在の県知事)に任命された岩村定高により計画され、明治12年(1879)に完成した洋風庁舎。白壁と中央の玄関を軸にした、左右対称の造りが美しい当時の典型的な官庁建築。
博物館 明治村に保存・展示されている建造物。大正12年(1923)、20世紀を代表する建築家といわれるアメリカ人、フランク・ロイド・ライトによる設計のもと完成。幾何学模様を施した大谷石や、櫛目を入れたレンガなど組み合わせ、柔らかで華麗な外観を現出している。喫茶室では落ち着いた雰囲気の中、コーヒー・紅茶などが楽しめる(不定休)。国の登録有形文化財。
柳田國男[やなぎたくにお]が明治31年(1899)に伊良湖に滞在し、椰子の実を拾った話を親友の島崎藤村に語ったときにうまれた『名も知らぬ遠き島より流れよるやしの実ひとつ…』の抒情詩が刻まれた碑。
長田父子による義朝謀殺の一報を聞き、家臣の渋谷金王丸や鷲栖玄光らは長田邸の湯殿へ急行する。これらを長田家の家臣団が迎え撃ち乱戦した場所がここ。
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