旧春田鉄次郎邸
陶磁器の輸出業で財をなした春田鉄次郎の自邸を一般公開。大正13年(1924)築、名古屋高等工業学校(現名工大)の校長・武田五一の設計と言われている。洋館1階には創作フレンチレストラン「デュボネ」がある。営業フロアは一般見学不可。
- 「清水(愛知)駅」から徒歩12分/「東大手駅」から徒歩12分
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陶磁器の輸出業で財をなした春田鉄次郎の自邸を一般公開。大正13年(1924)築、名古屋高等工業学校(現名工大)の校長・武田五一の設計と言われている。洋館1階には創作フレンチレストラン「デュボネ」がある。営業フロアは一般見学不可。
幕末期に建てられた養蚕家の家屋を移築し、古き良き日本を再現。
清須に位置し、園内には26歳の織田信長が桶狭間の戦いに出陣する姿を模した銅像とそれを傍らで見守る濃姫像があり、夫婦円満が出世、恋愛のパワースポットとして話題である。
長田父子による義朝謀殺の一報を聞き、家臣の渋谷金王丸や鷲栖玄光らは長田邸の湯殿へ急行する。これらを長田家の家臣団が迎え撃ち乱戦した場所がここ。
伊良湖シーサイドゴルフ倶楽部の近くに『鷹一つ見つけてうれし伊良湖崎』という芭蕉の句碑がある。愛弟子と伊良湖を旅した時に詠まれた句。
伊良湖岬灯台の背後の山の斜面に、天武朝の皇族であった麻績王[おみのおおきみ]が『うつせみの 命を惜しみ浪にぬれ 伊良虞の島の玉藻刈り食す』と詠んだ歌碑がある。都を追われ伊良湖に身を寄せている時、里人の思いやりに応えて詠んだ歌。
香嵐渓北側、足助川沿いの地域が足助の町並み。江戸時代に伊那街道と呼ばれ、中馬(馬で荷を運ぶ人々の組合)によって三河湾の塩が信州に運ばれる「塩の道」(中馬街道)の宿場。塩問屋が数多くあった宿場町の面影が2kmほど残され、妻入り型や平入り型が混在する古い家々や馬頭観音や本町地蔵堂などご利益スポットも点在し、白壁と黒板塀の美しいマンリン小路、かつての銀行を利用した資料館の足助中馬館など、散策に格好。足助の町並みは国の重要伝統的建築物群保存地区に指定されている。
石垣と復元された隅櫓[すみやぐら]が往時を偲ばせる、吉田城跡につくられた公園。緑豊かで、市民の憩いの場となっている。毎年「豊橋まつり」のメイン会場になり、「炎の祭典」なども開催。園内には豊橋市美術博物館のほか、陸上競技場や野球場がある。
鎌倉街道と伊勢街道が合流する交通の要であった清須。織田信長ゆかりの地で、信長没後に織田家の重臣が後継者を決める清須会議を開いた地でもある。清洲公園として整備された清須城跡の五条川を隔てた位置に、平成元年(1989)、旧清洲町の町制100周年を記念して、当時の外観や規模を模して建設されたのがこの清洲城。鉄骨と鉄筋コンクリート造り3層4階建ての天主閣を中心に芸能文化館、大手門、庭園などがあり、天主閣内の織田氏をはじめとする清須に関わる展示が興味深い。天主閣最上階からの眺めは絶景だ。
室町時代末期の平山城。織田信長の父信秀によって築城されたと伝えられている。その後丹羽氏が入城し、四代約六十年間その居城となった。豊臣秀吉と徳川家康の唯一の直接対決となった小牧・長久手の戦いにおいては、秀吉方の池田恒興の三河中入を阻止すべく戦い、当時の当主丹羽氏次の弟氏重以下約三百名が討ち死にした。城跡にある岩崎城址公園内には、櫓台・空堀跡などの他、日進市内を一望する模擬天守の展望塔岩崎城、岩崎城や日進市の歴史を紹介している岩崎城歴史記念館がある。
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