旧豊田佐助邸
白いタイル張りの洋館と落ち着いた和館で構成された邸宅は、発明王・豊田佐吉の弟、豊田佐助が住んでいた。1階には蓮のつぼみの形をした照明が、天井には「とよだ」の文字が鶴と亀でデザインされた換気口など、細かなところまで見逃せない。
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白いタイル張りの洋館と落ち着いた和館で構成された邸宅は、発明王・豊田佐吉の弟、豊田佐助が住んでいた。1階には蓮のつぼみの形をした照明が、天井には「とよだ」の文字が鶴と亀でデザインされた換気口など、細かなところまで見逃せない。
揚輝荘は、大正から昭和初期にかけて(株)松坂屋初代社長の伊藤次郎左衞門祐民の別荘としてつくられた。昭和14年(1939)頃には、約1万坪の敷地に地形や周囲の自然を活かし、池泉回遊式庭園とともに30数棟の各種建造物があった。
岡崎城は、徳川家康公が生まれた神君出生の城。龍にまつわる伝説も多く、別名龍ヶ城とも呼ばれ、竹千代(のちの家康公)が誕生した折には、城の上に黒雲が渦巻き、黄金の龍が現れたと伝えられている。昭和34年(1959)に再建された3層5階の復興天守は、岡崎市のシンボルとして市民に愛され親しまれている。いにしえにより、東海道を舟運による交通の要衝として栄え、「五万石でも岡崎様は お城下まで舟が着く」と歌われた岡崎城の発展や城下町の繁栄と歴史文化、伝統産業などを紹介している。岡崎城はその歴史的価値から、平成18年(2006)に「日本100名城」に選定された。所要40分。
徳川家のルーツといわれる松平氏発祥の地。一帯は松平氏遺跡として国の史跡に指定されている。郷内には松平家の産湯の井戸や家康公を奉った松平東照宮、松平家にまつわる品々を展示する松平郷館、松平氏菩提寺の高月院などがあり、じっくりと史跡めぐりが楽しめる。また、「徳川家康公400年祭」を記念して、松平東照宮の天井が見事に生まれ変わった。季節の草花を題材にした色鮮やかな108枚の漆絵は、表面的な美しさだけでなく、大自然の本質的な「美」をうつし描かれている。
長篠城は永正5年(1508)の築城と伝えられ、今川氏、武田氏、徳川氏による争奪戦が展開された。天正3年(1575)には長篠・設楽原の戦いの発端となり、甲斐の武田勝頼は長篠城を1万数千の兵で攻撃したが、奥平信昌率いる約500の城兵は激しく抵抗、また鳥居強右衛門[すねえもん]の活躍もあり、城はついに落城せず、織田・徳川連合軍を大勝に導いた。現在は国の史跡に指定され、土塁・内堀の跡が往時を物語る。また、周辺には医王寺(武田勝頼本陣地)や馬場美濃守墓、鳥居強右衛門の墓などの関係史跡が点在する。
江戸末期から明治初期にかけて建築された建物で、国登録有形文化財に登録されている。緩やかなカーブを描く「起(むく)り屋根」が特徴的で、奥行きは58mある。奥土蔵、展示蔵、和室はギャラリーとしての利用も可能(有料)。
小牧・長久手の戦いで、渡辺半蔵らが血のついた槍や刀を洗って真っ赤になったとされる池を埋めて整備。「毎年、合戦のあった4月9日に池の水が赤くなる」という伝説が残されている。
桶狭間古戦場伝説地(史跡)の向かい側に位置する高徳院には、今川義元公の本陣跡が。義元公の追善供養のための石碑が立てられている。
明治から昭和初期の豪農の暮らしを再現し、山里の暮らしや手仕事の技術を紹介。約3000平方mの敷地内には長屋門・母屋・土蔵・作業小屋が並び、番傘や藍染め、機織り、鍛冶屋などの職人の実演が見られる。11月以外は各種体験可。所要30分。
大正9年(1920)の書院、茶室、土蔵を改修して開館。国の重要文化財で、かつて当館が所蔵し徳川美術館へ寄贈した「百花百草図屏風」にちなんだ庭園では、四季を通じて草花を楽しむことができる。多目的ホールではセルフサービスのコーヒー、お茶などを飲みながら庭を眺めることができる。
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