北前船回船問屋森家
海商の町、岩瀬にある北前船回船問屋で、国の重要文化財に指定されている。明治11年(1878)に建てられ、最盛期の繁栄を偲ばせる豪壮な構え。玄関から裏の船着き場に通じる土間廊下に沿って母屋、土蔵などが配され、船荷はこの土間を通って土蔵へ運ばれた。また道具蔵の扉に施された家紋と竜虎の鏝絵[こてえ]も見事だ。所要30分。
- 「競輪場前(富山)駅」から徒歩9分/「東岩瀬駅」から徒歩9分
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海商の町、岩瀬にある北前船回船問屋で、国の重要文化財に指定されている。明治11年(1878)に建てられ、最盛期の繁栄を偲ばせる豪壮な構え。玄関から裏の船着き場に通じる土間廊下に沿って母屋、土蔵などが配され、船荷はこの土間を通って土蔵へ運ばれた。また道具蔵の扉に施された家紋と竜虎の鏝絵[こてえ]も見事だ。所要30分。
いたち川沿いにあり病を平癒するといわれている延命地蔵は、「川底に沈んだ地蔵尊を供養せよ」というお告げにより建てられたもの。延命地蔵のある、いたち川の水辺と清水は名水として知られている。境内の御手洗い水は万病に効く名水として知られ、水を汲みに多くの人が訪れる。
宇奈月公園のそばに温泉の守り本尊として祭られた薬師如来像。像の下から流れる湯を体の患った部分に掛ければ癒えると言い伝えられている。
西鐘釣山麓の大きな岩陰に安置されている三体の仏像。暴れ川として有名な黒部川の安全祈願として祀られている。黒部峡谷鉄道宇奈月駅から乗車約60分で鐘釣駅。
黒部ダム駅と黒部ダムを結ぶダム連絡通路の出入口脇にある。昭和31年(1956)から昭和38年(1963)の黒部ダム建設中、大町トンネル(現・関電トンネル)の大破砕帯などの困難を極めた工事で犠牲になった171名の霊を弔う慰霊碑。「六体の人物像」は彫槊家の松田尚之氏が手がけたもので、殉職者の名前が刻まれたプレートが掲げられている。
この遺跡は縄文時代中期の竪穴式住居跡であり、発見された22棟中の1棟は、ほかの住居の4~5倍の大きさで、集会所のような公共の建物だったと考えられている。現在、3棟の住居が復元されており、当時の集落の仕組みや生活の様子がわかる。入口の休憩舎には、発掘された石器や解説パネルを展示している。
富山市民俗民芸村の施設。大正9年(1920)に、富山の茶人・金子宗峰[そうほう]が建てた茶室を移築したもので、立礼席にて430円(抹茶+和菓子)で呈茶をしている。
「神通おろし」とよばれる強風が吹き荒れる標高345mの猿倉山。戦国時代に山城が築かれた地で展望台がある。麓の駐車場から約450段の石段を上るごとに広がるパノラマビューは絶景のひとこと。頂上や展望台では、神通峡や富山平野はもとより、晴れた日は富山湾や能登半島までも一望できる。
室堂平の西端、雄山を望む岩場に口を開けて並ぶ2つの洞窟。玉殿岩屋は立山開山伝説の聖地で、熊と白鷹を追って来た佐伯有頼[さえきありより]に、熊が阿弥陀如来に、白鷹が不動明王となって現れ立山の開山を命じた場所とされている。立山室堂が建設される前は、立山修験道の行者の宿泊に使用されたともいわれる。洞窟の天井は低く、奥行きも4m程度と狭く、小さな石仏が数体安置されている。すぐ隣にある虚空蔵窟と呼ばれる洞窟も同じように使用されたものといい、内部には石地蔵や十六羅漢が十数体祭られている。この2つの洞窟へは、滑りやすい登山道の下りなので足元に注意を。
中島閘門は扉の開閉で上流と下流の水位差を調節する、いわば水のエレベーター。その仕組みはパナマ運河の水門と同じで、国の重要文化財。
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