日枝神社
富山市街の中心にある神社で、「富山山王さん」の別称で親しまれている。創建の年代は不詳だが、古くは建武2年(1335)の記録が残っている。大山咋神・大己貴神を主祭神とし、相殿に天照大御神・豊受大御神を祀る。初詣では県内一の人出で賑わい、縁結びのご利益があるとして若い人も数多く訪れる。
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富山市街の中心にある神社で、「富山山王さん」の別称で親しまれている。創建の年代は不詳だが、古くは建武2年(1335)の記録が残っている。大山咋神・大己貴神を主祭神とし、相殿に天照大御神・豊受大御神を祀る。初詣では県内一の人出で賑わい、縁結びのご利益があるとして若い人も数多く訪れる。
明治2年(1869)、この地で年貢軽減を訴えて農民たちが一揆を起こした際の決起場所となった寺。現在は、夏になれば前の畑にハスの花が咲き誇る。毎月7日には書写をしており、六字名号、三誓偈ともに1000円(筒包2000円)でもとめることができる。
天明6年(1786)の開山。境内にある五百羅漢[ごひゃくらかん]は江戸時代の後期、信仰心の篤い富山の回船問屋の豪商、黒牧屋善次郎が発願者となり50余年にわたり佐渡の石工に535体の石仏を彫らせ、北前船で運んできたもの。樹木が繁る斜面に石の灯籠と対になって何段にも整然と並んでいる。
立山信仰の里、芦峅寺[あしくらじ]地区に鎮座。立山詣は岩峅寺[いわくらじ]にある雄山神社前立社壇[まえだてしゃだん]とこの祈願殿に詣でてから、雄山山頂の峰本社を参拝するのが習わしだった。かつては立山曼荼羅[まんだら]にも見られるような伽藍[がらん]が立ち並んでいたが、明治の廃仏毀釈[はいぶつきしゃく]で大部分の建物が破壊され、今は講堂が雄山神社祈願殿として残る。境内には立山を開山した佐伯有頼[さえきありより]公の霊廟もある。参道沿いの樹齢約500年のタテヤマスギ(天然記念物)の木立も見事だ。
高野山真言宗の寺。白鳳10年(681)の創建時に植えたとされる境内の大イチョウ(天然記念物)は、幹周り約11m、樹高約24mの巨木。また、例年4月18日に開催されるごんごん祭りは、江戸時代の干ばつの際、農民が寺の鐘を鳴らして雨乞いをしたことがその名の由来。力自慢の男衆が長さ2m、重さ60kgの丸太を担ぎ、鐘を何回鳴らせるかを競う。
放生津八幡宮の秋季例大祭は一般に新湊曳山まつりと呼ばれ、13台の曳山が供奉されることで有名。天平18年(746)、大伴家持が豊前国の宇佐八幡宮から勧請したとされる。現在の社殿は文久3年(1863)に造営されたもので、境内には家持が『万葉集』に詠んだ家持の歌碑、奥の細道の松尾芭蕉の句碑などもある。
浄土真宗大谷派、蓮如上人開基の寺。蓮如上人が文明3年(1471)に加賀で開山し、永禄2年(1559)に城端へ移転。境内には龍の彫刻を施した山門や鐘楼などが並ぶ。7月22~28日の虫干法会では、蓮如ゆかりの品々や前田家から寄進された寺宝を公開。優美な彫刻が施された山門と重厚な造りの本堂に加え、太鼓楼と鐘楼も富山県指定文化財。本堂では朝は6時30分~、午後は14時~、365日欠かすことなくお勤めと法話が行われている。宿坊宿泊可(要予約)。
蓮如上人の高弟、赤尾道宗[どうしゅう]が室町時代末期に開いた浄土真宗の寺院。併設の赤尾道宗遺徳館(料金:300円、時間:10~15時、休日:12~3月)では、道宗ゆかりの品や棟方志功等の作品を展示。
高岡の基礎を築いた2代目藩主前田利長の菩提寺として、3代目藩主前田利常が寛文3年(1663)に建立した曹洞宗の巨刹。総門および、いずれも国宝の山門、仏殿、法堂が一直線に並び、周りを300mの回廊で結んだ典型的な禅宗伽藍形式。仏殿は鉛で屋根を葺いている。
加賀前田家3代当主・前田利常が、2代利長の三十三回忌にあたり、正保3年(1646)に造営した墓所。墓域の中心には二段築造の御廟(幅15.5m)が位置。御廟の全面は加賀の戸室石で覆われ、立面は狩野探幽の下絵と伝承される130枚もの蓮花図が陽刻。江戸時代の石造美術としても高い価値を有している。菩堤寺の瑞龍寺、菩堤寺と墓所を結ぶ八丁道、墓守寺である繁久寺からなる広大な空間は、近世大名墓所として破格の規模と内容を誇るものだ。
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