石倉町の延命地蔵
いたち川沿いにあり病を平癒するといわれている延命地蔵は、「川底に沈んだ地蔵尊を供養せよ」というお告げにより建てられたもの。延命地蔵のある、いたち川の水辺と清水は名水として知られている。境内の御手洗い水は万病に効く名水として知られ、水を汲みに多くの人が訪れる。
- 「荒町(富山)駅」から徒歩11分/「中町駅」から徒歩11分
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いたち川沿いにあり病を平癒するといわれている延命地蔵は、「川底に沈んだ地蔵尊を供養せよ」というお告げにより建てられたもの。延命地蔵のある、いたち川の水辺と清水は名水として知られている。境内の御手洗い水は万病に効く名水として知られ、水を汲みに多くの人が訪れる。
黒部峡谷トロッコ電車の途中(柳橋駅-森石間)に、赤い頭巾をした石仏がある。天然の岩が仏様のお姿に似ていることから名づけられ、入山者は安全を祈願したという。黒部峡谷鉄道沿線内、車窓展望のみ(事前に車内放送で案内あり)。
相倉民俗館は、旧尾崎家住宅をそのままの形で利用。内部は、土間、居間、寝室などが田の字型に仕切られた典型的な合掌造家屋の様式になっている。展示は、自給自足の生活を続けてきた村人たちの民具や農具が中心。屋根裏部屋では、釘を一切使用せず、縄やネソと呼ばれる木で組み立てた合掌造の構造が見られる。合掌人[びと]の昔の生活を今に伝える歴史民俗資料館。
武田信玄の弟、逍遙軒信綱[しょうようけんのぶつな]の子孫と伝わる豪農の居宅。寛政年間(1789~1801)頃に建設された肝煎住宅そのままの姿を現在に伝えている。間口、奥行きともに約21m、建築面積457平方mに及ぶ大規模な建築物で高い天井の梁組みやこの地方特有の屋根形式が特徴。肝煎とは江戸時代の世話役のこと。国指定重要文化財。
鳥取の里は、日本最古の歴史書『古事記』の中で、県内で最初に登場する地名。大島絵本館の横に八幡社があり、八幡社境内に「高志の国 鳥取の里」と刻まれた石碑が立つ。
「神通おろし」とよばれる強風が吹き荒れる標高345mの猿倉山。戦国時代に山城が築かれた地で展望台がある。麓の駐車場から約450段の石段を上るごとに広がるパノラマビューは絶景のひとこと。頂上や展望台では、神通峡や富山平野はもとより、晴れた日は富山湾や能登半島までも一望できる。
加賀藩の役宅(奥山廻役)として、江戸時代中期の豪農民家の姿をほぼそのままに残す建物。5190平方mもの敷地は周囲に堀と塀がめぐらされ、表門・主屋・土蔵の3棟が国の重要文化財となっている。庭園に面して立つ主屋の広間は豪壮な梁組、それとは対照的に座敷は繊細な造りとなっており、藩政時代の面影が偲ばれる。所要20分。
西鐘釣山麓の大きな岩陰に安置されている三体の仏像。暴れ川として有名な黒部川の安全祈願として祀られている。黒部峡谷鉄道宇奈月駅から乗車約60分で鐘釣駅。
金屋町は加賀前田家2代当主・前田利長公が、慶長16年(1611)に鋳物師7人を招いて鋳物場を開かせた高岡鋳物発祥の地。金屋町通りには「さまのこ」と呼ばれる千本格子の家並みと、銅片の敷き込まれた石畳が美しい佇まいを見せている。
日本海に面した黒部川扇状地の扇端部に位置する平安時代から鎌倉時代初期の遺跡。荘園の荘所跡ではないかと推定され、中国製の青磁や木簡などが出土していることなどから、昭和54年5月に国指定の史跡となった。園内は公園として整備され、散策しながら住居跡などを見学できる。
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