
薬種商の館金岡邸
国の登録有形文化財に指定されている、300年の歴史をもつ国内でもまれな富山売薬史料館。当時の製薬道具、売薬版画、貴重な薬箱・薬袋や、日本に6体しかない麝香鹿など180種類の生薬原料を展示。母屋は明治初期の商家、新屋は総檜木格天上の豪華な建物だ。
- 「東新庄駅」から徒歩7分/「越中荏原駅」から徒歩19分
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国の登録有形文化財に指定されている、300年の歴史をもつ国内でもまれな富山売薬史料館。当時の製薬道具、売薬版画、貴重な薬箱・薬袋や、日本に6体しかない麝香鹿など180種類の生薬原料を展示。母屋は明治初期の商家、新屋は総檜木格天上の豪華な建物だ。
いたち川沿いにあり病を平癒するといわれている延命地蔵は、「川底に沈んだ地蔵尊を供養せよ」というお告げにより建てられたもの。延命地蔵のある、いたち川の水辺と清水は名水として知られている。境内の御手洗い水は万病に効く名水として知られ、水を汲みに多くの人が訪れる。
1660年頃の建築とみられる、4階建ての合掌造民家(重要文化財)。囲炉裏を囲んで、当主が五箇山の歴史やこきりこ唄などについて詳しく話してくれる。予約をするとコキリコ踊りを鑑賞できる(有料、要問合せ)。
この流刑小屋は御縮小屋といい、江戸時代に加賀藩の流刑地として8ケ所あった流刑小屋の一つ。昭和38年(1963)の豪雪で倒壊したため、現在あるのは、昭和40年(1965)に復元されたもので、間口2.8m、奥行3.6mの小さな茅葺き造り。入口の柱には、20cm角の食事差し入れ口が開けられ、ここから食料を罪人に与えていた。
黒部峡谷トロッコ電車の途中(柳橋駅-森石間)に、赤い頭巾をした石仏がある。天然の岩が仏様のお姿に似ていることから名づけられ、入山者は安全を祈願したという。黒部峡谷鉄道沿線内、車窓展望のみ(事前に車内放送で案内あり)。
室堂平の西端、雄山を望む岩場に口を開けて並ぶ2つの洞窟。玉殿岩屋は立山開山伝説の聖地で、熊と白鷹を追って来た佐伯有頼[さえきありより]に、熊が阿弥陀如来に、白鷹が不動明王となって現れ立山の開山を命じた場所とされている。立山室堂が建設される前は、立山修験道の行者の宿泊に使用されたともいわれる。洞窟の天井は低く、奥行きも4m程度と狭く、小さな石仏が数体安置されている。すぐ隣にある虚空蔵窟と呼ばれる洞窟も同じように使用されたものといい、内部には石地蔵や十六羅漢が十数体祭られている。この2つの洞窟へは、滑りやすい登山道の下りなので足元に注意を。
飛鳥時代後期の須恵器や瓦を製作した工房、窯などが発掘され、当時の窯業生産の全容を知ることができる貴重な遺跡として、国指定史跡になっている。北陸最古の瓦陶兼業窯跡は半地下式の登窯で、長さ7m・幅2m。遺跡の解説や出土品を紹介する資料館・飛鳥工人の館もある。
明治初期建築の旧金岡家住宅を改修した施設。砺波の明治末期以降の農家はアズマダチとよばれる瓦葺き建築だが、それ以前の茅葺き農家として貴重な建物だ。内部は、豪壮な木組みが特徴的。砺波[となみ]市指定文化財。
相倉民俗館は、旧尾崎家住宅をそのままの形で利用。内部は、土間、居間、寝室などが田の字型に仕切られた典型的な合掌造家屋の様式になっている。展示は、自給自足の生活を続けてきた村人たちの民具や農具が中心。屋根裏部屋では、釘を一切使用せず、縄やネソと呼ばれる木で組み立てた合掌造の構造が見られる。合掌人[びと]の昔の生活を今に伝える歴史民俗資料館。
総面積1万1700平方mの広々とした園内にはハス池、ふれあい広場、ローラースライダーなどがある。管理棟になっている旧川上家は、江戸時代の町屋を復元した板葺き石置き屋根の建物。中には民具を展示し、朝日町の「バタバタ茶」の体験(試飲)もできる。
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