
旧有備館および庭園
延宝5年(1677)頃、岩出山伊達家2代宗敏の隠居所として、現在地に建てられたといわれる。寄棟茅葺き書院造りの簡素な佇まいで、後には学問所として使用された。庭園は、仙台藩茶道頭・石州流三代清水道竿[どうかん]の作庭。岩出山城本丸の断崖を借景として、池中に島を配した廻遊式池泉庭園だ。樹齢300年以上の樹木もあり、四季折々の変化が楽しめる。国史跡・名勝。
- 「有備館駅」から徒歩3分/「岩出山駅」から徒歩15分
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延宝5年(1677)頃、岩出山伊達家2代宗敏の隠居所として、現在地に建てられたといわれる。寄棟茅葺き書院造りの簡素な佇まいで、後には学問所として使用された。庭園は、仙台藩茶道頭・石州流三代清水道竿[どうかん]の作庭。岩出山城本丸の断崖を借景として、池中に島を配した廻遊式池泉庭園だ。樹齢300年以上の樹木もあり、四季折々の変化が楽しめる。国史跡・名勝。
須藤家の居宅松笠屋敷母屋は、町の文化財。江戸時代後期の文化文政時代に建設された。中門を入って、客間の前に式台風の玄関を配し、床の間、棚、平書院を備える正座敷とこれらにつながる次の間を持つ点から、地方郷土の代表的な居宅といわれている。屋敷内には、茶室にも使用した離れや、文庫蔵もある。
約4000年前の縄文ムラであった山田上ノ台遺跡を保存公開している。竪穴住居を復元しているほか、クリなどの広葉樹で縄文時代の植生を再現している。また縄文土器づくり200円~や勾玉づくり200円~などを体験できる。10名以上は要予約。
8世紀から10世紀ごろの古代城柵跡。東西約1400m、南北約850mの範囲を築地や土塁で区画。当時の陸奥国府だった多賀城跡を上回り、古代城柵において最大級の規模を誇る。遺跡の北西部に位置する愛宕山地区は史跡公園になっており、春にはソメイヨシノが咲き乱れ、隠れた花見の名所になっている。
武家屋敷の中で唯一公開されている旧鈴木家住宅。80人収容の無料休憩所を兼ね、囲炉裏を囲んだ喫茶コーナーがある。春蘭茶セット、抹茶セット各500円。
遠く太平洋も望める景勝地、青葉山丘陵にある。竜ノ口峡谷と広瀬川を外堀とする断崖絶壁の天然の要害の地で、慶長7年(1602)伊達政宗により完成。以降、13代260余年にわたり伊達氏の居城となった。石垣が残り、建物は大手門の脇櫓が再建されている。本丸跡には、青葉城資料展示館や食事処、売店などがある本丸会館があり、政宗騎馬像や仙台城見聞館(無料)が立つ。
多賀城南門跡のすぐ近くに立つ。高さ約2m(地上部分)、最大幅103cmの奈良時代の石碑で、当時の主要な国界から多賀城までの距離、大野東人[おおののあずまひと]が多賀城を創建したことなどが刻まれている。群馬県多胡碑[たごひ]、栃木県那須国造碑[なすのくにのみやつこのひ]とともに、日本三古碑の一つに数えられる。国の重要文化財に指定されているほか、日本遺産にも認定されている。
仙台の少し昔の普通の人々のくらしを知ることができる資料館。町中に住んでいた職人の仕事道具、農村で米作りに使われていた道具などを展示。農家の台所や庭先の様子、子どもたちの集まった一銭店屋の店先などを再現したコーナーもある。建物は明治7年(1874)完成で、宮城県有形文化財に指定。旧日本陸軍の兵舎だった当時の様子、戦時中の生活道具なども紹介している。所要40分。
海外事情に通じ、著書『海国兵談[かいこくへいだん]』で幕府から禁固刑を受けた江戸時代中期の経世家・林子平の墓(国史跡)が龍雲院の境内にある。罪人とされたため、死後しばらく墓は造営されなかったが、天保13年(1842)に甥の珍平によって建てられた。宝形造の堂のなかに六無斎友直居士と刻んだ小さな墓が納められている。
町内の寺池には白壁に茅葺き、瓦葺きのどっしりした構えの武家屋敷が点在。町内17、8軒、寺池周辺6、7軒。現在も住居として使用されているところが多く、ほとんど一般公開されていない。江戸時代中期に建てられた登米伊達藩の家臣鈴木家の屋敷・春蘭亭は町に寄贈され保存修復後、喫茶コーナーを設け平成2年(1990)にオープン。「春蘭亭」の名の由来はこの地に自生する春蘭を加工した「春蘭茶」を提供することから名付けられた。春蘭茶セット500円。
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