
岩出山城跡・城山公園
大正19年(1591)、伊達政宗は岩手沢を岩出山と改め、慶長6年(1601)治府を移すまで岩出山城を居城とした。現在は公園として整備され、空堀や門跡などが当時の遺構として残されている。9月第2日曜日とその前日には政宗公まつり、11月15・16日には秋の互市、11月下旬には岩出山バルーンフェスティバルをそれぞれ開催。昭和39年(1964)、仙台城跡から移された政宗平和像も立つ。
- 「有備館駅」から徒歩5分/「岩出山駅」から徒歩16分
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大正19年(1591)、伊達政宗は岩手沢を岩出山と改め、慶長6年(1601)治府を移すまで岩出山城を居城とした。現在は公園として整備され、空堀や門跡などが当時の遺構として残されている。9月第2日曜日とその前日には政宗公まつり、11月15・16日には秋の互市、11月下旬には岩出山バルーンフェスティバルをそれぞれ開催。昭和39年(1964)、仙台城跡から移された政宗平和像も立つ。
海外事情に通じ、著書『海国兵談[かいこくへいだん]』で幕府から禁固刑を受けた江戸時代中期の経世家・林子平の墓(国史跡)が龍雲院の境内にある。罪人とされたため、死後しばらく墓は造営されなかったが、天保13年(1842)に甥の珍平によって建てられた。宝形造の堂のなかに六無斎友直居士と刻んだ小さな墓が納められている。
伊達政宗公が豊臣秀吉から拝領した伏見桃山城の一棟を、2代藩主忠宗公が江戸より移築したもの。歴代藩主が納涼・観月の場とした観瀾亭は「月見御殿」とも呼ばれており、秋には毎年お月見会を開催。室内の極彩色の障壁画は重要文化財に指定されている。
出羽仙台街道の宿駅の一つ、尿前に置かれた伊達藩の番所跡。元禄2年(1689)、松尾芭蕉が平泉から出羽の尾花沢へ出るときに通った関所。現在は、門や柵など当時の関所が復元されている。
仙台の少し昔の普通の人々のくらしを知ることができる資料館。町中に住んでいた職人の仕事道具、農村で米作りに使われていた道具などを展示。農家の台所や庭先の様子、子どもたちの集まった一銭店屋の店先などを再現したコーナーもある。建物は明治7年(1874)完成で、宮城県有形文化財に指定。旧日本陸軍の兵舎だった当時の様子、戦時中の生活道具なども紹介している。所要40分。
遠く太平洋も望める景勝地、青葉山丘陵にある。竜ノ口峡谷と広瀬川を外堀とする断崖絶壁の天然の要害の地で、慶長7年(1602)伊達政宗により完成。以降、13代260余年にわたり伊達氏の居城となった。石垣が残り、建物は大手門の脇櫓が再建されている。本丸跡には、青葉城資料展示館や食事処、売店などがある本丸会館があり、政宗騎馬像や仙台城見聞館(無料)が立つ。
遠く太平洋も望める景勝地・青葉山丘陵にあり、13代270余年にわたり伊達氏の居城となった。現在は石垣が残り、政宗騎馬像が立つほか、大手門の脇櫓(隅櫓)が再建されている。城跡一帯が公園となっており、春は数百本の桜が咲く。広瀬川から桜越しに脇櫓(隅櫓)を見ることもできる。
多賀城南門跡のすぐ近くに立つ。高さ約2m(地上部分)、最大幅103cmの奈良時代の石碑で、当時の主要な国界から多賀城までの距離、大野東人[おおののあずまひと]が多賀城を創建したことなどが刻まれている。群馬県多胡碑[たごひ]、栃木県那須国造碑[なすのくにのみやつこのひ]とともに、日本三古碑の一つに数えられる。国の重要文化財に指定されているほか、日本遺産にも認定されている。
丸森町の中心商店街にある蔵屋敷で、江戸時代から昭和初期にかけて財をなした齋藤家の屋敷を公開したもの。通りに残ったほとんど唯一ともいえる蔵屋敷内には、昔の商売道具や晴れ着などの美術品や装身具などのコレクションなどが展示されている。所要1時間。
宝暦年間(1751~64)、村田町などの仙南地方は、紅花の集散地として商都の賑わいをみせ、村田商人の名は広く知られていた。そのころの面影が残る家並みが、町の中心部の旧街道沿いに続いている。ひときわ豪壮な外観を誇る店蔵(蔵造りの店舗)は、かつての村田商人たちがいかに繁栄したかを物語っている。
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