
仙台市縄文の森広場
約4000年前の縄文ムラであった山田上ノ台遺跡を保存公開している。竪穴住居を復元しているほか、クリなどの広葉樹で縄文時代の植生を再現している。また縄文土器づくり200円~や勾玉づくり200円~などを体験できる。10名以上は要予約。
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約4000年前の縄文ムラであった山田上ノ台遺跡を保存公開している。竪穴住居を復元しているほか、クリなどの広葉樹で縄文時代の植生を再現している。また縄文土器づくり200円~や勾玉づくり200円~などを体験できる。10名以上は要予約。
大正19年(1591)、伊達政宗は岩手沢を岩出山と改め、慶長6年(1601)治府を移すまで岩出山城を居城とした。現在は公園として整備され、空堀や門跡などが当時の遺構として残されている。9月第2日曜日とその前日には政宗公まつり、11月15・16日には秋の互市、11月下旬には岩出山バルーンフェスティバルをそれぞれ開催。昭和39年(1964)、仙台城跡から移された政宗平和像も立つ。
武家屋敷の中で唯一公開されている旧鈴木家住宅。80人収容の無料休憩所を兼ね、囲炉裏を囲んだ喫茶コーナーがある。春蘭茶セット、抹茶セット各500円。
七ケ宿に語り継がれる伝説のひとつ。江戸時代、秋田佐竹藩の殿様が参勤交代の際に滑津で美しい村娘を見初めたが、再度訪れた時には娘は亡くなっていた。殿様は大変悲しみ、娘をしのんで振袖地蔵を作ったといわれる。
遠く太平洋も望める景勝地、青葉山丘陵にある。竜ノ口峡谷と広瀬川を外堀とする断崖絶壁の天然の要害の地で、慶長7年(1602)伊達政宗により完成。以降、13代260余年にわたり伊達氏の居城となった。石垣が残り、建物は大手門の脇櫓が再建されている。本丸跡には、青葉城資料展示館や食事処、売店などがある本丸会館があり、政宗騎馬像や仙台城見聞館(無料)が立つ。
町内の寺池には白壁に茅葺き、瓦葺きのどっしりした構えの武家屋敷が点在。町内17、8軒、寺池周辺6、7軒。現在も住居として使用されているところが多く、ほとんど一般公開されていない。江戸時代中期に建てられた登米伊達藩の家臣鈴木家の屋敷・春蘭亭は町に寄贈され保存修復後、喫茶コーナーを設け平成2年(1990)にオープン。「春蘭亭」の名の由来はこの地に自生する春蘭を加工した「春蘭茶」を提供することから名付けられた。春蘭茶セット500円。
多賀城南門跡のすぐ近くに立つ。高さ約2m(地上部分)、最大幅103cmの奈良時代の石碑で、当時の主要な国界から多賀城までの距離、大野東人[おおののあずまひと]が多賀城を創建したことなどが刻まれている。群馬県多胡碑[たごひ]、栃木県那須国造碑[なすのくにのみやつこのひ]とともに、日本三古碑の一つに数えられる。国の重要文化財に指定されているほか、日本遺産にも認定されている。
8世紀から10世紀ごろの古代城柵跡。東西約1400m、南北約850mの範囲を築地や土塁で区画。当時の陸奥国府だった多賀城跡を上回り、古代城柵において最大級の規模を誇る。遺跡の北西部に位置する愛宕山地区は史跡公園になっており、春にはソメイヨシノが咲き乱れ、隠れた花見の名所になっている。
宝暦年間(1751~64)、村田町などの仙南地方は、紅花の集散地として商都の賑わいをみせ、村田商人の名は広く知られていた。そのころの面影が残る家並みが、町の中心部の旧街道沿いに続いている。ひときわ豪壮な外観を誇る店蔵(蔵造りの店舗)は、かつての村田商人たちがいかに繁栄したかを物語っている。
山中七ヶ宿街道の宿場の一つ、白石市上戸沢にあった木村家の母屋を、材木岩公園内に移築・復元したもの。木村家は、上戸沢宿の伝馬や宿駅関係を取り締まる検断役を勤めた家で、本陣に準ずる役割を担っていた。茅葺き屋根で寄棟造の建物は、座敷部と居宅部からなる平屋建て。江戸中期頃の建築と推定されており、宮城県指定の有形文化財。
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