鹿野の街並み
天正年間(1573~92)に築かれた鹿野城は、戦国武将亀井茲矩[かめいこれのり]の居城。茲矩と2代目政矩[まさのり]の卓越した政治により発展し、鹿野城を中心とした城下町が整備された。現在も、筋違いの道や格子の町家が残り、町並みごと県民の建物100選に指定されている。町並み散策の所要は、山中鹿介の墓の残る幸盛寺[こうせいじ]、鹿野城跡公園[しかのじょうせきこうえん]を一周して約1時間。
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天正年間(1573~92)に築かれた鹿野城は、戦国武将亀井茲矩[かめいこれのり]の居城。茲矩と2代目政矩[まさのり]の卓越した政治により発展し、鹿野城を中心とした城下町が整備された。現在も、筋違いの道や格子の町家が残り、町並みごと県民の建物100選に指定されている。町並み散策の所要は、山中鹿介の墓の残る幸盛寺[こうせいじ]、鹿野城跡公園[しかのじょうせきこうえん]を一周して約1時間。
自家製粉したそば粉を使った「そば打ち体験」を楽しめる。長年、店でそば打ちを続けてきた地元の女性たちがやさしく指導。打ったそばはその場で食べられるほか、持ち帰りもOK。店内食事処で、食事だけの利用もできる。手打ち十割そばのメニューを各種用意している。
鳥取県の景勝地として人気の鳥取砂丘の近郊にある鳥取市福部町の梨農園。鳥取の名産品である「二十世紀梨」など収穫した梨は園内で食べ放題なので、獲りたての梨をぜひ味わおう。
山中鹿介は戦国時代の武士。主君尼子氏再興のために尽力したが、天正6年(1578)、毛利との戦いに敗れ、安芸の国に護送される途中で非業の死をとげた。鹿野城を築いた亀井茲矩は鹿介の義弟にあたる。茲矩は鹿介の死から30年後、慰霊のために菩提寺として幸盛寺を建立し、墓碑を立てた。ちなみに幸盛寺の名は、鹿介の正式名である鹿介幸盛[ゆきもり]からきている。
昼なお暗い鬱蒼とした樹林内に、不動滝・湯原滝・妙円滝の3つの滝が水飛沫を上げ、霊場という呼び名がいかにも相応しい。かつては山伏たちの修行の場とされ、今でも不動滝のそばにある祠では、8月の第1日曜に山岳修験風の行「湯三昧」行われる。
鳥取砂丘の砂丘センター横の乗り場から砂丘入口を結ぶリフト。片道5分の空中遊覧では、砂丘と海のコントラストの美しい景色を楽しめる。リフトを降りると、目の前には雄大な鳥取砂丘が広がり、砂丘の人気スポット・馬の背まで徒歩約15分。砂丘まで砂に足を取られることなく楽に移動でき、砂丘入口のリフト乗り場には、コインロッカーや無料の貸し長靴もあるので利用価値大だ。
初代光仲[みつなか]から11代慶栄[よしたか]までの鳥取藩主が眠る墓所で、国の史跡に指定されている。玉垣に囲まれた巨大な墓石群が整然と並んでおり、初代光仲の墓所は3段の台座の上に、江戸時代の大名の墓に特徴的な台石をのせた独特の形状で、高さは3m近くあり、藩主の絶大な力を物語る。宇倍神社からは徒歩10分。
砂丘の発達により海から切り離された潟湖で、「池」と名乗る湖沼の中では日本最大級。湖面に浮かぶ大小の島のうち最も大きい青島にはキャンプ場があり、湖岸から橋で渡ることができる。池を含めた周辺地域は世界ジオパークに認定されており、「全国都市緑化フェア」の跡地・東岸地区には「ナチュラルガーデン」があり(無料)、鳥取市の新たな観光スポットとして注目を集めている。
伊賀越仇討の剣豪・荒木又右衛門の菩提寺。境内には、墓と荒木又右衛門記念館がある。寛永11年(1634)実際に決闘に使われた太刀や鎖かたびら等多数の遺品資料は必見。庫裏には、高木百拙[たかぎひゃくせつ]筆の羅漢襖絵があり、墨一色でのびやかに描かれた羅漢達が味わい深く語りかける。四季折々の風情が楽しめる亀鶴庭など、見所が多い。
気高町と青谷町の境にある海辺の高台。展望所があり、大きな穴のあいた覗岩と、『貝がら節』の音符と歌詞を彫った碑が立つ。昔は、ここで魚影を探したという言い伝えどおり、海の展望は抜群。天気のよい日には因幡、但馬の山々や鳥取砂丘方面まで見晴らせる。
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