国分寺
天平13年(741)、聖武[しょうむ]天皇の勅願で行基が開いたという寺。四国霊場第80番札所だ。一帯は国の特別史跡に指定され、仁王門から本堂(重要文化財)へ向かう途中に七重塔や金堂の礎石が残る。寺の背後に整備された讃岐国分寺跡の遺構や復元家屋も見ておきたい。
- 「国分(香川)駅」から徒歩7分
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天平13年(741)、聖武[しょうむ]天皇の勅願で行基が開いたという寺。四国霊場第80番札所だ。一帯は国の特別史跡に指定され、仁王門から本堂(重要文化財)へ向かう途中に七重塔や金堂の礎石が残る。寺の背後に整備された讃岐国分寺跡の遺構や復元家屋も見ておきたい。
五色台の青峰[あおみね]中腹にある、四国霊場第82番札所。今から約400年前、里人を困らせた牛鬼[うしおに]を弓の名人・山田高清が射止めた故事にちなみ、山門近くに牛鬼像が立つ。33年ごとに御開帳される本尊の千手観音立像は、重要文化財に指定されている。
天保8年(1837)、金刀比羅宮に金堂として建立された。二重入母屋造、銅板葺の堂々とした建物は国の重要文化財。上層の屋根裏から建物の側面に至るまで巻雲[まきぐも]や鳥獣、人物、花卉[かき]などの巧みな彫刻が施されている。
神亀2年(725)、行基の創建と伝わる四国霊場第78番札所。瀬戸内海を望む青ノ山の山麓に立ち、厄除け大師としても有名。大師堂脇の地下にある観音洞(拝観:8~17時)には、奉納された万体観音像が約2万体並び壮観だ。
金刀比羅宮御本宮から、さらに583段の石段を登った所にある。御祭神は厳魂彦命[いづたまひこのみこと]で、江戸期に金毘羅大権現別当金光院主だった金剛坊宥盛大人[こんごうぼうゆうせいうし]を祭っている。
標高451mの象頭山[ぞうずざん]の中腹に鎮座し、祭神は大物主神(大国主命)。門前町から表参道の785段の石段の先に御本宮が立ち、途中には大門や桜馬場、宝物館、高橋由一館、国指定重要文化財の表書院や旭社など、数々の社殿や施設が立ち並んでいる。御本宮には、12世紀の保元の乱で都を追われ、讃岐にとどまった崇徳[すとく]天皇を合祀しており、並び立つ別宮の三穂津姫社や神楽殿など12棟が国指定重要文化財。創建は明らかではないが、江戸時代には「こんぴらまいり」が盛んになり、今日に至るまで海の守護神として広く信仰を集めている。御本宮からさらに583段の石段を登った山中には、奥社の厳魂神社も鎮座する。
四国霊場で、唯一の一山二霊場。同一の境内に2つの札所が存在し、納経も同一の納経所で二ケ寺分行う。第69番札所観音寺の朱塗りの本堂(金堂)は重要文化財。
四国霊場第67番札所。寺伝では熊野三所権現鎮護[くまのさんしょごんげんちんご]のために東大寺末寺として、天平14年(742)に建立され、延暦11年(792)に弘法大師が巡錫[じゅんしゃく]、弘仁13年(822)嵯峨帝勅願によって再興されたとされ、地元では小松尾寺の名で親しまれている。真言宗と天台宗の修行道場として栄え、境内に大師堂と天台師堂があるのはその名残り。現在の本堂は寛保元年(1741)の再建、仁王門に安置された高さ3mを超える木造金剛力士像は運慶作といわれ、四国霊場で最大のものだ。弘法大師のお手植えという樹齢1200年の大楠、カヤの木も見ておきたい。
本島の中央部山頂に立つ真言宗大本山。神亀年間(724~729)に聖武天皇の勅願で創建されたと伝わる格式ある寺だ。讃岐が生んだ高僧の一人で、平安時代に京都・東寺の長者も務めた理源大師(聖宝)の生誕の地でもある。多くの寺宝を収蔵することで知られ、33年ごとに開帳(次回は2034年)される本尊の聖観音菩薩像をはじめ、不動明王像、毘沙門天像は重要文化財。寺宝拝観(料金:志納)は事前に連絡を。毎年7月第3日曜の夏まつりには、湯加持や荒行の火渡りの修行が行われる。
毘沙門天と出会った弘法大師が毘沙門天尊を刻み岩窟に安置したのが始まり。その後、満濃池修築の別当となった大師が成功を祈願し薬師如来を刻む。完成後、功労により賜った一部で堂宇を建立、薬師如来を本尊として安置。
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