
豊玉姫神社
男木港そばの大鳥居から狭い集落の中を参道が続く、安産の神様豊玉姫を祭る神社。境内からの眺めも素晴らしい。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
男木港そばの大鳥居から狭い集落の中を参道が続く、安産の神様豊玉姫を祭る神社。境内からの眺めも素晴らしい。
四国霊場で、唯一の一山二霊場。同一の境内に2つの札所が存在し、納経も同一の納経所で二ケ寺分行う。第69番札所観音寺の朱塗りの本堂(金堂)は重要文化財。
地元では、萩寺として有名。大宝元年(701)、行基が薬師如来像を彫り、本尊として安置したといわれる古刹。
本島の中央部山頂に立つ真言宗大本山。神亀年間(724~729)に聖武天皇の勅願で創建されたと伝わる格式ある寺だ。讃岐が生んだ高僧の一人で、平安時代に京都・東寺の長者も務めた理源大師(聖宝)の生誕の地でもある。多くの寺宝を収蔵することで知られ、33年ごとに開帳(次回は2034年)される本尊の聖観音菩薩像をはじめ、不動明王像、毘沙門天像は重要文化財。寺宝拝観(料金:志納)は事前に連絡を。毎年7月第3日曜の夏まつりには、湯加持や荒行の火渡りの修行が行われる。
高松市南郊にある四国霊場第83番札所。寺伝では大宝年間(701~704)に創建され、後に隣接地に立つ讃岐一ノ宮・田村神社の別当寺院になったという。本尊の聖観音像は弘法大師の作と伝わる。本堂前に薬師如来を祭った石の祠があるが、台座の下にあいた穴は地獄に通じ、頭を入れると地獄の釜音が聞こえ、心がけの悪い人は抜けなくなると言われている。また、四季折々の顔をもつ境内の庭園や山門に埋め込まれたトンボ・水琴窟など随所にちりばめられた日本庭園の伝統技巧が見どころ。
屋島の対岸、五剣山[ごけんざん]中腹にある四国霊場第85番札所。天長6年(829)弘法大師の創建と伝わる。境内の背後に五剣山がそびえ、本堂横の聖天[しょうでん]堂の本尊・歓喜天は弘法大師作で日本最古とも言われている。商売繁盛や縁結び、家内安全、学業成就などのご利益がある「八栗のお聖天さま」と呼ばれ、霊験あらたかなことで有名。
享禄元年(1528)俳諧の祖・山崎宗鑑が興昌寺に結んだ数奇屋造りの庵。名前は宗鑑が来客の一夜以上の滞在を許さなかったことに由来。
浄土宗の開祖、法然上人が建永2年(1207)、讃岐に配流され、しばらく滞在した小松庄生福寺を高松藩初代藩主松平頼重がこの地に引移し、巨費を投じて再興したもので、藩主菩提寺として300有余年栄えた。三方を池に囲まれた東京ドームほどの境内には多くの堂宇が立ち並び、極楽浄土を具現化している。三仏堂に安置された全長3mの木造涅槃像は「讃岐の寝釈迦」として有名。頼重公寄進の仏舎利を祀る五重塔を平成23年(2011)建立。平成31年(2019)松平家墓所として国の史跡に指定される。
天平13年(741)、聖武[しょうむ]天皇の勅願で行基が開いたという寺。四国霊場第80番札所だ。一帯は国の特別史跡に指定され、仁王門から本堂(重要文化財)へ向かう途中に七重塔や金堂の礎石が残る。寺の背後に整備された讃岐国分寺跡の遺構や復元家屋も見ておきたい。
弘法大師が宝珠を山中に埋めて開山し、後に智証大師が霊木に千手観世音菩薩を刻んで本尊として安置。北には崇徳上皇の御陵があり、参道には源頼朝が建立したと伝わる、上皇の供養塔の十三重石塔が立つ。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。