
モアイ像
女木港を訪れる人びとを出迎えてくれるモアイ像は、イースター島のモアイを再建する際、吊り上げテスト用に作られたもの。高松に本社を置く建設重機メーカーより寄贈された。
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女木港を訪れる人びとを出迎えてくれるモアイ像は、イースター島のモアイを再建する際、吊り上げテスト用に作られたもの。高松に本社を置く建設重機メーカーより寄贈された。
女木港周辺の集落で見られる高い石垣「オーテ」。局地的な強風を避けるため、明治初期から昭和の中ごろまでに建てられた石垣で、なかには4mを越すものも。独特な風景で島の暮らしを物語っている。
豊臣秀吉は塩飽水軍の650人に対し、朱印状により1250石の領地を与え、彼らは人名[にんみょう]と称し、その後、江戸時代末期までどの藩にも属さない独立自治を認められた。塩飽勤番所は人名から選ばれた3人の年寄りが交代で執務をとった政庁跡。寛政10年(1798)に建てられた白土塀の長屋門、本館、御朱印蔵などが残り、国の史跡に指定されている。本館内には信長、秀吉、家康らが与えた朱印状や航海図、古文書類、塩飽出身者が多かった咸臨丸乗組員の遺品などを展示。国指定史跡である。
万延元年(1860)に初めて太平洋横断を成し遂げた咸臨丸。この乗組員のうち35名が塩飽諸島出身、うち11名が広島の出身だったそう。その乗組員の墓が広島内のあちこちにある。
土庄港のバス乗り場近くで観光客を迎えるブロンズ像。モチーフは『二十四の瞳』に登場する大石先生と12人の子供たちだ。平和への祈りを込めて昭和31年(1956)に制作された。背後にオリーブの木が茂り、小豆島観光のシンボルになっている。
万葉の島として親しまれる、現在は陸続きになっている島。かつて柿本人麻呂[かきのもとのひとまろ]がこの島に船をつけ歌を詠んだといわれ、瀬戸大橋を臨む浜には柿本人麻呂の碑がある。遊歩道沿いには白石古墳などみどころもあり、散策もおすすめ。
周囲約16km、塩飽全島の政治・経済の中心地だ。かつて全島統治の政務所だった塩飽勤番所(史跡)や、古い家並みが残る笠島集落などが往時の面影を伝える。島内にタクシーなどはないので、泊港の待合所で貸し出すレンタサイクル(料金:1日500円、電動自転車1日1500円)を利用するといい。主なみどころを回って2~3時間。
四国各地の民家33棟を移築復元した屋外博物館。農村歌舞伎舞台、こうぞ蒸し小屋、砂糖しめ小屋など四国を特色づける建物が立ち並ぶ。四国村ギャラリーでは、西洋絵画、彫刻、仏像など幅広い美術品が鑑賞できる。所要1時間30分。
紫雲出山山頂にある。発掘された竪穴式住居や高床式倉庫を復元し、約2千年前のものといわれる土器や石器も展示。眺めのよい喫茶コーナーでコーヒーや紅茶を飲みながら、ホッと一息。桜や紫陽花等の季節の花と瀬戸内海の多島美が絶景。
江戸末期に千石船で繁栄した廻船問屋の邸宅。青木石を約4.5mの高さに積み上げた見上げるような石垣と、総ケヤキ造りの家屋からは当時の繁栄ぶりが窺える。
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