金倉寺
四国霊場第76番札所。弘法大師の姪の子で天台寺門宗の宗祖、智証大師(円珍)の生誕地。本尊の薬師如来像は円珍作と伝わる。本堂左手には、円珍ゆかりの訶利帝母尊(鬼子母神)が祀られている訶利帝堂が立つ。明治29年(1896)、乃木希典[のぎまれすけ]将軍が旧陸軍第11師団創立時に宿舎としたことも有名。
- 「金蔵寺駅」から徒歩7分
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四国霊場第76番札所。弘法大師の姪の子で天台寺門宗の宗祖、智証大師(円珍)の生誕地。本尊の薬師如来像は円珍作と伝わる。本堂左手には、円珍ゆかりの訶利帝母尊(鬼子母神)が祀られている訶利帝堂が立つ。明治29年(1896)、乃木希典[のぎまれすけ]将軍が旧陸軍第11師団創立時に宿舎としたことも有名。
弘法大師が弥蘇之場[やそのば]において霊感を得て、ほとりにあった木で十一面観世音菩薩を刻み堂宇を建立。弘法大師は三体の仏、十一面観世音菩薩、阿弥陀如来、愛染明王を刻む。保元の乱に敗れた崇徳上皇がこの地で崩御する。この地は崇徳天皇御鎮座所[すとくてんのうごちんざしょう]となる。
この地の長者・和気道隆は放った矢で倒れた乳母を供養するため薬師如来の小像を刻む。後に、弘法大師が薬師如来像を刻み、胎内に小像を納め本尊に。眼なおし薬師さまで有名。
天保8年(1837)、金刀比羅宮に金堂として建立された。二重入母屋造、銅板葺の堂々とした建物は国の重要文化財。上層の屋根裏から建物の側面に至るまで巻雲[まきぐも]や鳥獣、人物、花卉[かき]などの巧みな彫刻が施されている。
奈良時代に開創。重要文化財に指定されている毘沙門天王像が寺宝である。延命地蔵が本尊、水子供養の寺、毎年1月21日に近い日曜に「初大師大護痺供養」厳修。
弘法大師が薬師7体の石像を刻みお堂を建てた所に後年再興されたもの。お参りすると乳の出が良くなるので「乳薬師」ともいわれる。
弘法大師が大同2年(807)に建立したと伝えられる四国霊場第70番札所。鎌倉後期建立の国指定重要文化財の二王門をくぐると、境内には大師堂や十王堂、大日堂などの堂宇が立ち並び、大寺の風格が漂う。正面に立つ鎌倉後期の正安2年(1300)に建てられた寄棟造、本瓦葺きの本堂は国宝。左手に堂々立つ五重塔は、明治43年(1910)に完成したものだ。
浄土宗の開祖、法然上人が建永2年(1207)、讃岐に配流され、しばらく滞在した小松庄生福寺を高松藩初代藩主松平頼重がこの地に引移し、巨費を投じて再興したもので、藩主菩提寺として300有余年栄えた。三方を池に囲まれた東京ドームほどの境内には多くの堂宇が立ち並び、極楽浄土を具現化している。三仏堂に安置された全長3mの木造涅槃像は「讃岐の寝釈迦」として有名。頼重公寄進の仏舎利を祀る五重塔を平成23年(2011)建立。平成31年(2019)松平家墓所として国の史跡に指定される。
弘法大師が宝珠を山中に埋めて開山し、後に智証大師が霊木に千手観世音菩薩を刻んで本尊として安置。北には崇徳上皇の御陵があり、参道には源頼朝が建立したと伝わる、上皇の供養塔の十三重石塔が立つ。
金刀比羅宮御本宮から、さらに583段の石段を登った所にある。御祭神は厳魂彦命[いづたまひこのみこと]で、江戸期に金毘羅大権現別当金光院主だった金剛坊宥盛大人[こんごうぼうゆうせいうし]を祭っている。
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