 
													法輪寺
弘法大師が刻んだとされる本尊の釈迦如来像は、八十八カ所中ただ一つという涅槃像で、珍しい寝姿の仏像が祀られている。大師が白蛇と出合って開基したとの縁起から、もとは白蛇山・法林寺と号し、約3km離れた山麓にあった。長宗我部勢の兵火で焼失、土石流の影響もあり、正保年間(1644~48)現在の地に移された。安政6年(1859)、光明堂から発した火により、楼門を残して全焼。現在の本堂や大師堂などは明治時代に再建されたもの。のどかな田園の中にあるため、「田中の法輪さん」とよばれている。
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													弘法大師が刻んだとされる本尊の釈迦如来像は、八十八カ所中ただ一つという涅槃像で、珍しい寝姿の仏像が祀られている。大師が白蛇と出合って開基したとの縁起から、もとは白蛇山・法林寺と号し、約3km離れた山麓にあった。長宗我部勢の兵火で焼失、土石流の影響もあり、正保年間(1644~48)現在の地に移された。安政6年(1859)、光明堂から発した火により、楼門を残して全焼。現在の本堂や大師堂などは明治時代に再建されたもの。のどかな田園の中にあるため、「田中の法輪さん」とよばれている。
 
													13番大日寺の奥の院で、細い山道をのぼった先にあり夜ともなれば静寂そのもの。大日寺から建治寺に続く険しい遍路道には建治の滝があり、滝行は指導料5000円で体験できる。
 
													大瀧寺は海抜946m大瀧山頂に位置し、開山は奈良時代、行基菩薩が弥陀三尊を安置された。また、弘法大師「三教指帰」に記されている。二度目の登山のときに西照大権現を安置され男女の厄流しの秘法を修され厄流しの寺で有名。西照大権現とは弘法大師の遠祖である「天忍日命」の使いの者である。88番の奥の院で、四国八十八カ所総奥の院。四国別格20霊場の20番で四国88カ所と別格20霊場で108カ所所参りの満願寺である。
 
													延暦8年(789)に弘法大師が創建したという四国霊場第66番札所。香川県の大野原からロープウェイで登り、雲辺寺山(標高927m)山頂は徳島県。四国霊場で最も高所にあるため、「四国高野」ともいう。静寂な境内に本堂、大師堂などが立ち並ぶ。
 
													奥深い山を背に本堂が立つこの寺は、弘法大師が42歳の時に厄難を除こうと刻んだ薬師如来像が本尊として祀られている。渓流の清らかなこの地に心打たれ、現在の境内からさらに山中に入った八畳岩の上に護摩壇を築いて17日間修行を積み、五色の藤を植えたことから寺の名が付けられた。平安時代には真言密教の道場として栄え、七堂伽藍が並んだが、戦国期に長宗我部勢の兵火で焼失。延宝年間(1673~81)に臨済宗の南山禅師が再興し、現在の宗派に改めた。八畳岩から12番札所への遍路道は難所として有名。
 
													鮎喰川のほとりに立つ古刹。弘法大師が大師ケ森で護摩修法をしていると、空中に大日如来が現れ、一宇建立のお告げを受けたため、大日如来の姿を刻んで本尊とし、寺名もこれにちなんだ。ところが、後に一宮神社の別当寺となったため、一宮寺ともよばれ栄えるようになる。本堂は天正年間(1573~92)に焼失、現在の堂宇は明治期に再建。明治の神仏分離により一宮神社に納められていた十一面観世音菩薩がこの寺に移され、これを本尊とする。もともとの本尊である大日如来は脇侍仏として祀られている。
 
													霊山寺の西、約1kmのところにある四国霊場第2番札所。朱塗りの仁王門をくぐると美しい日本庭園が広がり、その先に弘法大師が植えたという長命杉がある。本堂には平安時代末期の作とされる本尊の阿弥陀如来坐像(重要文化財)を安置。
 
													中央の薬師仏をはさんで左右に3体ずつ、合わせて7体の七仏薬師如来を本尊にしている全国でも珍しい寺。もとは妙照寺とよばれ、天武天皇の勅願道場として開基した歴史をもつ。弘法大師が訪れ刻んだという、カヤの一木造の6尺余り(約1m90cm)の十一面観音菩薩などを安置。水不足に苦労する村人を哀れみ、大師が錫杖で一夜のうちに掘ったという伝説の「面影の井戸」があり、水に映った自身の姿を石に刻んだ日限大師も祀られている。戦乱などで何度か焼失し、現在の本堂は昭和44年(1969)に再建されたもの。
 
													眉山の山麓に立つ臨済宗[りんざいしゅう]妙心寺派の禅寺。江戸初期に造られた池泉回遊式の庭で知られている。山麓の斜面を巧みに利用した庭には、茶室や三重宝塔などが配されており、洗練された風情がある。キリスト教が禁止されていた江戸時代に灯籠にマリア像を刻み、地蔵尊と偽った切支丹[きりしたん]灯籠も見逃せない。
 
													聖武天皇の命で全国に建立された国分寺の一つで、行基が開基。当時は鎮護国家の祈願所として七重塔を備えた大伽藍だったが、天正年間(1573~92)の長宗我部勢の兵火により堂塔は焼失。その後、寛保元年(1741)に吼山養師和尚により再建されたときに曹洞宗寺院となる。天保年間(1830~44)に大師堂が建つなど、長い年月をかけて再建。現在の重層入母屋造の本堂は文化文政年間(1804~30)に再建、聖武天皇と光明皇后の位牌が祀られている。境内には地元阿波産の青石の巨石を使った豪快な石組の名勝阿波国分寺庭園がある。
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