二層うだつの町並み
うだつとは、軒先の両袖につけられた防火壁のことである。商人たちは競ってこのうだつに様々な装飾を施した。小屋根をつけ、漆喰の絵模様を書き、二段にし、うだつは時代とともに豪華になっていった。建物ごとに異なる意匠を楽しみながら歩こう。町並みめぐりには、観光ボランティアガイドも随時派遣中(有料、要予約)。
- 「貞光駅」から徒歩9分
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うだつとは、軒先の両袖につけられた防火壁のことである。商人たちは競ってこのうだつに様々な装飾を施した。小屋根をつけ、漆喰の絵模様を書き、二段にし、うだつは時代とともに豪華になっていった。建物ごとに異なる意匠を楽しみながら歩こう。町並みめぐりには、観光ボランティアガイドも随時派遣中(有料、要予約)。
重要伝統的建造物郡保存地区・うだつの町並みのほぼ中央にある。吉田屋直兵衛が寛政4年(1792)に創業した藍商の屋敷跡で、主屋・質蔵・藍蔵など5棟が中庭を囲むように立ち並ぶ。藍商館の典型的な佇まいを今に残し、往時の繁栄ぶりが偲ばれる。美馬市指定文化財。
二層うだつの町並みの中ほどにある。寛政3年(1791)の創建。南に切妻本瓦葺の表門を開き、築地塀に囲まれた約550坪の敷地内には母屋・蔵・藍のネドコなどの建物群があり、井戸や鶴亀蓬莱庭園(座視鑑賞式)など、その歴史を今に伝えるたたずまいを色濃く残している。うだつを上げた商家とは趣が異なり、庄屋としての特別な格式を備えた貴重な歴史的文化遺産だ。
江戸時代から続く藍商の屋敷で、昭和51年(1976)に、主屋を中心に藍納屋、藍蔵等11棟全てが国指定重要文化財となった。全解体工事を経て当時の姿が復元されている。昔は、吉野川が毎年台風によって氾濫を繰返し、現在の屋敷は三度目に建てられたもので、江戸時代末期から約30年間の建築様式が見られる。主屋の葦葺の屋根は、洪水時には救命ボートに早変わりするという設計がなされている。また、洪水対策用としての石垣は20年の歳月をかけて隙間無く築かれており、屋敷全体の構成美が見所となっている。
祖谷街道の難所のひとつ、急カーブの七曲[ななまがり]にある。深く切り込んだ祖谷川のV字型の渓谷に突き出た大きな岩の上には、旅人などが度胸試しをしたという由来から作られた小便小僧の像が立つ。
優れた魚場として栄える港町・椿泊は、江戸時代を中心に活躍した「阿波水軍」を率いた森一族の本拠地だったことで知られる。森一族の屋敷跡には江戸期の石垣のみ残されている。
ドイツ村公園に開店した道の駅。物産館は、旧板東俘虜収容所だった建物を移築。併設の鳴門市ドイツ館は第一次大戦時のドイツ兵俘虜と、地元との交流を紹介。ほか、世界平和を求めて活動した賀川氏の足跡を学べる、鳴門市賀川豊彦記念館などみどころは多い。
板東俘虜収容所で亡くなった11名の俘虜のためにドイツ兵が建てた碑。ドイツ兵の帰国後、手入れを続けた住民の善意がドイツに伝わり、日独の友好を象徴する史跡となっている。現在はドイツ村公園となっており、自由に見学することができ、菩提樹の木や桜が植えられている。
脇町のうだつの町並みから歩いて15分ほどの高台にある茅葺屋根の古民家。享保20年(1735)に建築された民家を移築し、歴史民俗資料として公開。今までに4回の修理・改造が行われたが、木材などは建築当時のものが残っている。江戸時代中期のこの地域の典型的な山村農家建築で、国の重要文化財。
平成17年(2005)、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された昔ながらの山村集落。指定当時約54軒の民家が標高差約390mの急斜面にはり付くように立ち、江戸中期から昭和初期に独特の工夫を凝らして造られた主屋や石垣が現在も多く残る。対岸には展望所があり、落合集落の全景が見渡せる。
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