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寺は山の中腹にあり、仁王門から333段の石段を上ると本堂が、さらにその先、大塔へ続く。切幡の名は、機織り娘の伝説に由来。弘法大師が巡錫中の弘仁6年(815)、衣が傷んだので娘に繕いの布を求めると、織っていた布を惜しげもなく切り取ってくれた。その礼に娘の願いを聞き、亡き父母のために一夜で千手観音像を刻み、娘に灌頂を授けると、娘は観音菩薩の姿に変わったという。本堂には本尊の千手観音のほかに、機織り娘が即身成仏となった観音(秘仏)も安置されている。
延暦8年(789)に弘法大師が創建したという四国霊場第66番札所。香川県の大野原からロープウェイで登り、雲辺寺山(標高927m)山頂は徳島県。四国霊場で最も高所にあるため、「四国高野」ともいう。静寂な境内に本堂、大師堂などが立ち並ぶ。
大瀧寺は海抜946m大瀧山頂に位置し、開山は奈良時代、行基菩薩が弥陀三尊を安置された。また、弘法大師「三教指帰」に記されている。二度目の登山のときに西照大権現を安置され男女の厄流しの秘法を修され厄流しの寺で有名。西照大権現とは弘法大師の遠祖である「天忍日命」の使いの者である。88番の奥の院で、四国八十八カ所総奥の院。四国別格20霊場の20番で四国88カ所と別格20霊場で108カ所所参りの満願寺である。
標高約600mの箸蔵山頂に立つ寺。天長5年(828)、弘法大師が四国行脚の途中、金毘羅大権現の神託を受けて創建したと伝わり、金毘羅奥の院ともいわれる。四国別格霊場札所として参詣者が多く、本坊から石段の参道に沿って護摩殿・鐘楼・薬師堂・本殿・観音堂などの諸堂が連なる。そのほとんどが国の重要文化財に指定されている。
弘仁6年(815)の開基と伝わる四国霊場第23番札所。本堂へは女厄坂33段、男厄坂42段の石段があり、厄年の参拝者が1段ごとに硬貨を置いて登る姿が見られる。さらに、男女厄[だんじょやく]坂61段を登ると昭和39年(1964)に四国霊場開創1150年を記念して建てられた瑜祇塔[ゆぎとう]がある。
延暦11年(792)、弘法大師が厄除祈願をしていると薬師如来が現れ、加持をするための水を求めて杖で掘ると乳白色の水が湧き上がり、その霊水で体を清め、薬師如来像を刻み本尊として安置したという。この水により人々が平等に救済されるようにと願いを込め寺号を付けた。本堂左手の井戸は、万病に効く「弘法の水」として崇められている。また、健脚に霊験あらたかで、ご利益を授かった参拝者が奉納した木製の車が、本堂に並べられている。本堂内の頭上には草花を描いた天井画が見事、一見の価値あり。
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