
唐招提寺 金堂
唐招提寺にある、現存する天平建築最大の豪壮な建物。鑑真和上の死後、弟子の如宝が建立したと伝える。正面7間、側面4間の寄棟造。大棟の両端に鴟尾[しび]を飾った大屋根、エンタシスといわれる前面の列柱には荘重感がある。千体仏を背負った高さ3mの本尊盧舎那仏坐像(国宝)の左右に、953本の手をもつ5.4mの千手観音立像(国宝)と、像高3.36mの薬師如来立像(国宝)が並ぶ。
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唐招提寺にある、現存する天平建築最大の豪壮な建物。鑑真和上の死後、弟子の如宝が建立したと伝える。正面7間、側面4間の寄棟造。大棟の両端に鴟尾[しび]を飾った大屋根、エンタシスといわれる前面の列柱には荘重感がある。千体仏を背負った高さ3mの本尊盧舎那仏坐像(国宝)の左右に、953本の手をもつ5.4mの千手観音立像(国宝)と、像高3.36mの薬師如来立像(国宝)が並ぶ。
東大寺大仏殿東方の丘上にある。治承[じしょう]の兵火は免れたが、鎌倉時代に再建された豪放な建築。高さ約3.9m、重さ約26トンの大鐘で、奈良太郎の呼び名で親しまれている。
興福寺境内の南側に位置する八角円堂。弘仁4年(813)、藤原冬嗣[ふじわらのふゆつぐ]が父内麻呂[うちまろ]のために建立した。現在の堂は江戸時代の再建。西国三十三カ所観音霊場第9番札所でもあるため、堂前には線香の煙りが絶えず、庶民的な雰囲気が漂う。本尊は高さ3.4mの不空羂索[ふくうけんさく]観音坐像(国宝)で、運慶の父康慶一門の作だ。堂内は、毎年10月17日(9~17時)に特別開扉される。
鎧や太刀などの武具、御殿に納められていた古神宝や、舞楽面や舞楽装束、楽器など優れた美術工芸品が多く、国宝354点や重要文化財1482点をはじめ多くの文化財を所有する。また、常設展示では光と水で聖域を表現するインスタレーション空間を設置するユニークな美術館。春日若宮おん祭りで実際に使用する日本最大級を誇る極彩色のだだいこも見物。
唐招提寺の金堂の西、土塀に囲まれて授戒のための戒壇がある。花崗岩を3段に重ねた石積みで、宝塔を壇上中央に置いている。
養老2年(718)、舎人親王が『日本書紀』の完成と自身の42歳の厄除けを祈願して開いたとされる。日本最古の厄除け霊場といわれ、本尊木造千手観音立像が「厄除け観音」として信仰を集める。境内には本堂(重要文化財)、三重塔、行者堂、七福神堂、阿弥陀堂などが立ち並ぶ。また花畑(バラ)が5月15日から6月5日まで公開される。7月からカサブランカが見頃。
室町時代の再建時に興福寺に建てられた風呂。内部には大きな鉄の湯釜2基が据え付けられているが、公開されていない。
国宝の本尊盧舎那仏(大仏)を安置する、東大寺の金堂。廻廊と中門に囲まれた壮大な建築で、間口約57m・奥行き約50m・高さ約48m。江戸時代の再建で創建時より間口が3分の2に縮小されているが、それでも木造古建築としては世界最大級だ。銅造の盧舎那仏は高さ約15m。華厳経の教主とされ、世界の真理そのものを体現する仏さまという。頭部は江戸時代のもので、補鋳を重ねてはいるが、台座から膝を中心に天平創建時の部分を多く残す。大仏殿前の金銅八角灯籠(国宝)は高さ約4.6m。楽器を奏でる音声[おんじょう]菩薩が浮き彫りされている。
聖武天皇に招かれて唐から苦難の末に渡ってきた鑑真[がんじん]和上が、新田部[にいたべ]親王の旧邸跡を賜り、天平宝字3年(759)に建立した。当初は簡素な建物であったが、朝廷などの寄進により徐々に伽藍を整えていった。境内には、奈良時代建立の国宝の金堂・講堂・鼓楼・経蔵、国指定重要文化財の礼堂・御影堂など、災禍を免れた建物が創建時の姿をよく残している。御影堂の国宝・鑑真和上像は日本最古の肖像彫刻として知られる。境内には「若葉して御眼[おんめ]の雫拭[しずくぬぐ]はばや」の芭蕉句碑も立つ。
南都六宗の一つである律宗の総本山・唐招提寺。境内には、国宝の金堂・講堂・鼓楼・宝蔵・経蔵をはじめ、国指定重要文化財の礼堂・御影堂などが並び立つ。その境内の北東隅にあるのが鑑真和上の墓所。門と土塀を巡らせた墓所内は苔むして広く、周濠のような池が配され、木立に囲まれてひっそりと御廟がある。御廟は築山状の土壇で、その上に鎌倉時代後期に造られたという高さ約2.5mの宝篋印塔が立つ。
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