達磨寺
大和では珍しく達磨を祭る聖徳太子ゆかりの寺。太子がこの地で瀕死の旅人を見つけ、衣食を与えて介抱したが、翌日死亡してしまった。亡骸を葬ったところ数日で消えてしまい、太子が与えた着物のみが残されたため、これは達磨の化身であったかと堂を建てたという。鎌倉時代の初めには現在の境内の古墳上に寺が建てられ、達磨像を祭った。現在の本堂は平成16年(2004)に完成。木造達磨太子坐像(重要文化財)や絹本着色涅槃図(重要文化財)など寺宝も多い。
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大和では珍しく達磨を祭る聖徳太子ゆかりの寺。太子がこの地で瀕死の旅人を見つけ、衣食を与えて介抱したが、翌日死亡してしまった。亡骸を葬ったところ数日で消えてしまい、太子が与えた着物のみが残されたため、これは達磨の化身であったかと堂を建てたという。鎌倉時代の初めには現在の境内の古墳上に寺が建てられ、達磨像を祭った。現在の本堂は平成16年(2004)に完成。木造達磨太子坐像(重要文化財)や絹本着色涅槃図(重要文化財)など寺宝も多い。
信貴山朝護孫子寺の塔頭寺院。大和七福八宝巡りや大和十三仏霊場巡りの札所。宿坊もあり、信貴山毘沙門天の参拝や奈良旅行の宿としても利用できる。手作りの胡麻豆腐や生麩使ったを精進料理は、客殿の個室でランチでも予約できる。宿泊は1泊2食9900円~、ランチは精進料理3300円~、会席料理は4400円~。
修験道の開祖・役行者[えんのぎょうじゃ]の生誕地で、左義長や薬の発祥地と伝えられる。堂内には不動明王を中心とする五大明王が本尊として祀られ、役行者32歳像や白専女[しらとうめ]・役行者母親像を安置する。毎年1月14日には1300年以上の伝統を誇る大とんど左義長法要が行われ、高さ5m以上もある雌雄1対の松明に火をつけて、世界平和を祈る。
聖徳太子の弟の来目[くめ]皇子が建立したといわれるが、飛行中に娘のすねを見て墜落した久米仙人の創建との説話も残る。本尊薬師如来は眼病に霊験あらたかといわれる。本堂には、久米仙人の歯と毛(髪・ひげ)を植えた自作像とされる久米仙人坐像がある。多宝塔(重要文化財)は京都仁和寺[にんなじ]から移築したもので、桃山様式を残す。アジサイ園は6月が見ごろ。
緩やかな傾斜地に山門や本堂、鐘楼が配置された優雅な寺。奈良時代の高僧・行基の開創と伝わる。寺伝によると、行基が夢枕に現れた老人に「山の中に船形の大きな岩がある。岩の上に薬師如来を祭るように」と告げられ、その地に庵を建てたのが始まりという。境内には1000株ものツツジやサツキがあり、裏山を借景にした池泉回遊式庭園も見事。
祭神は三十六歌仙の一人、柿本人麻呂。付近が生誕地と伝えられ、石見[いわみ]国で没した人麻呂を宝亀元年(770)に改葬して、かたわらに社殿を建てたのが始まりという。拝殿南側には「柿本大夫人麻呂之墓」と刻まれた石碑がある。境内続きの影現寺[ようげんじ]は柿本寺とも呼ばれ、人麻呂の木像を安置。はめ込み式の首は、夜中に月の出る方角を向くという。
山の辺の道から山門をくぐると聖徳太子像が迎える。開基開山を聖徳太子と伝える由緒ある名刹。慶長5年(1600)には関ヶ原の合戦で敗れた島津義弘公をかくまう。明治の廃仏毀釈により整理を迫られたが托鉢によって再興。
本尊は奈良時代作と伝わる十一面観音。織田家2代高長はこの観音を深く信仰し、寺を織田家の祈願所とした。薬草料理3800円(要予約)も寺の名物となっている。
高句麗の慧灌法師が創建したと伝わる。鎌倉時代の優美な楼門(国宝)を旧街道に面して構え、境内の中心に鎌倉時代の十三重石塔(重要文化財)が立つ。コスモスでも名高い。また、カーナビ利用の場合、記載住所では裏口に案内されるため要確認。
春日大社の表参道入口に立つ典型的な春日鳥居。創建は承和3年(836)と伝え、江戸時代に再建された。右手奥の「影向[ようごう]ノ松」は春日大明神が萬歳楽を舞った所といわれ、おん祭の芸能も奉納される。
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