
誕生寺
當麻曼荼羅で知られる中将姫ゆかりの尼寺。中将姫の父、藤原豊成の邸跡に立ち、中将姫が生まれた所と伝わる。境内には産湯の井戸がある。見学は要事前問合せ。
- 「京終駅」から徒歩10分/「近鉄奈良駅」から徒歩18分
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當麻曼荼羅で知られる中将姫ゆかりの尼寺。中将姫の父、藤原豊成の邸跡に立ち、中将姫が生まれた所と伝わる。境内には産湯の井戸がある。見学は要事前問合せ。
春日大社の表参道入口に立つ典型的な春日鳥居。創建は承和3年(836)と伝え、江戸時代に再建された。右手奥の「影向[ようごう]ノ松」は春日大明神が萬歳楽を舞った所といわれ、おん祭の芸能も奉納される。
興福寺にある、高さ約50mの塔。古塔としては京都・東寺の五重塔に次ぐ高さで、奈良のシンボルとして親しまれている。天平2年(730)、光明皇后によって創建されたが、たびたび焼失。現在の塔は6度目の再建だ。室町時代の建築ながら、東金堂と同様、天平様式を踏襲している。現在は約120年ぶりの修理工事が進められ、令和13年(2031)3月までの予定となっている。
奈良時代、吉城川沿いの春日野に造られた氷池や氷室(氷の貯蔵庫)の守り神を祭ったのが始まりといわれ、のちに現在地に移された。製氷・販売業者の信仰が篤く、毎年5月1日には献氷祭を開催。
大和郡山の町中に佇む秀長の菩提寺。旧寺号は東光寺と称し、春岳院の名は秀長の戒名による。本堂は正徳元年(1711)の再建。寺宝に足利尊氏の念持仏という千手観音を伝え、狩野貞信[かのうさだのぶ]筆の秀長画像などもある。秀長統治時代の郡山を知る資料も数多く伝える。拝観は事前に連絡を。
天平19年(747)、聖武天皇の病気平癒を祈願して光明皇后が建立したと伝わる。すっきりした美しさを見せる天平建築の本堂(国宝)は、床が瓦敷。内陣には円形の須弥壇[しゅみだん]を設け、本尊木造薬師如来坐像(国宝)を安置する。本尊を守護する塑造十二神将立像(国宝)は天平時代の作(1体は昭和の補作)。憤怒の形相がすさまじく、躍動感にあふれる。
安産・子授け祈願の寺として全国から参拝者が絶えない。文徳[もんとく]天皇の皇后藤原明子[ふじわらのあきらけいこ]がこちらの地蔵菩薩に祈願したところ、清和[せいわ]天皇を出産。喜んだ文徳天皇が伽藍を整え、天安2年(858)、「腹帯が無事に解け、安産できた寺」帯解寺[おびとけでら]と名付けられた。穏やかな表情の本尊木造地蔵菩薩半跏像は重要文化財に指定されている。
正式には往馬坐伊古麻都比古神社といい、石垣の壇上に7棟の春日造檜皮葺きの社殿が立ち並ぶ。社殿は明治の再建だが、古くは生駒山を御神体とした神社で火の神として崇敬を集め、毎年体育の日の土・日曜の例祭「火祭り」は、松明を持った男たちが石段を競って駆け降りる勇壮な祭り。
天平勝宝年間(749~757)に創建された古刹。本堂(重要文化財)は入母屋造本瓦葺きで、鎌倉時代に再建されたもの。本堂前に同じく鎌倉時代の美しい宝篋印塔[ほうきょういんとう](重要文化財)が2基あり、南側の塔身には四仏が浮彫され、北側の塔身には四仏を表す梵字と永仁元年(1293)の銘が刻まれている。
東大寺大仏殿の西方に立つ。天平勝宝6年(754)に来日した鑑真和上[がんじんわじょう]は大仏殿前に特設された戒壇で、聖武上皇らに戒(僧が守るべき規律)を授け、翌年現在地に戒壇院が建立された。3度の火災にかかり、現在の戒壇堂(県指定文化財)は享保17年(1732)の再建。堂内の四隅に安置された天平時代の塑造四天王立像(国宝)は傑作の誉れ高い。動きを抑えた姿、憂愁を帯びた表情のなかに強い気迫を秘め、ひっそりとした堂内に凛とした空気が漂う。
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