
龍泉寺
大峯山[おおみねさん]を目指す人が必ず参詣する、修験道の根本道場。役行者が洞川で泉を発見し、八大龍王を祭ったのが始まりという。行者は境内の清水で身を清めてから入山する。
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大峯山[おおみねさん]を目指す人が必ず参詣する、修験道の根本道場。役行者が洞川で泉を発見し、八大龍王を祭ったのが始まりという。行者は境内の清水で身を清めてから入山する。
元は吉水院と称し修験宗の僧坊だったが、明治の神仏分離令で後醍醐天皇、楠木正成[くすのきまさしげ]・宗信法印を祭る神社となった。源頼朝に追われた義経は静御前、弁慶らとともにここに身を隠し、後醍醐天皇の行宮にもなった。豊臣秀吉が花見の本陣を置いたことでも知られる。書院(重要文化財)には、後醍醐天皇玉座の間や義経潜居の間がある。平成16年(2004)7月に世界遺産に指定された。
弘仁9年(818)、空海が入峯した時に建てた椿山寺[ちんざんじ]に始まるといわれ、金峯山寺四律院に数えられたが、現在は単立寺院。境内の小高い位置に広がる池泉回遊式庭園の群芳園[ぐんぼうえん]は大和三庭園の一つ。秀吉が花見をし、後に細川幽斎[ゆうさい]が改修したと伝えられ、吉野の山を借景とする。寺は格調高い宿坊としても知られる。
四郷川、高見川、日裏川[ひうらがわ]の合流点に鎮座する水の神。天武4年(675)、降雨、止雨を祈願する社として創建された。本殿は三間社流造、檜皮葺き。鎌倉時代作の石灯籠(重要文化財)もみどころ。
明治22年(1889)の創建で、祭神は後醍醐天皇。後村上天皇自らが彫ったと伝えられる後醍醐天皇の尊像を、吉水神社から奉遷して創祀された。現在の総檜造の社殿は昭和7年(1932)の造営。境内の摂社3社には、日野資朝[ひのすけとも]など建武中興の功臣7人を祀る。
役行者が開いたとも、空海が大峯修行の拠点にしたともいわれる古社。芸能の神として知られ、篤く信仰する音楽関係者も多い。能楽とも縁が深く、室町時代には能楽座が結成された。拝殿には能舞台が併設されており、社宝に室町以降の能面や装束、謡本を多数所蔵。近年は「パワースポット」としても知られる。
後醍醐天皇の勅願寺で、創建は延喜年間(901~923)とされる。正平2年(1347)、楠木正行[まさつら]が出陣に際し、辞世の歌を鏃[やじり]で刻んだという扉を、桜材の蔵王権現立像(重要文化財)などとともに宝物殿に陳列。境内には正行の髻[もとどり]を埋めた髻塚、正行の妻となるはずだった弁内侍[べんのないし]の黒髪を埋めた至情塚がある。本堂後方には後醍醐天皇陵もある。
修験道の開祖・役行者が開いたと伝わる古刹で、約1300年前から女性の入山を禁ずる「女人禁制」を守る。5月3日~9月23日早朝までの開山期間には、今なお多くの山伏が参拝に訪れる。
吉野山の尾根上にひときわ高くそびえる。修験道の開祖、役行者[えんのぎょうじゃ]によって奈良時代に開かれた金峯山寺の本堂(国宝)で、高さ約34m。木造古建築では東大寺大仏殿に次ぐ大きさだ。堂内には杉、檜、ナシ、ツツジなど自然木をそのまま使った68本の柱が林立、山岳宗教の荒々しい雰囲気を漂わせている。3体ある本尊の蔵王権現は高さ7mの巨像。国内最大といわれる厨子に納められた秘仏だ。
銅製の鳥居で高さ約8m。吉野山から山上ケ岳まで4つある門のうちの最初で、「発心門[ほっしんもん]」と書かれた扁額を掲げている。修験者は鳥居に手を触れ、「吉野なる銅の鳥居に手をかけて弥陀[みだ]の浄土に入るぞうれしき」と唱えて入山する。もとは東大寺大仏鋳造の余った銅で建立したともいわれる。
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