
沼島八幡神社
永享8年(1436)、梶原俊影が京都の石清水八幡宮の分霊を勧請したと伝わる。33段の女坂、42段の男坂の石段を登れば沼島の町が一望できる。拝殿の天井には方角を示す珍しい逆羅針盤が釣られている。また、沼島の歴史をうかがいしれる絵馬も飾られている。近年では神社の森が整備され、「巨木の森散歩道」として人気が増えてきた。
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永享8年(1436)、梶原俊影が京都の石清水八幡宮の分霊を勧請したと伝わる。33段の女坂、42段の男坂の石段を登れば沼島の町が一望できる。拝殿の天井には方角を示す珍しい逆羅針盤が釣られている。また、沼島の歴史をうかがいしれる絵馬も飾られている。近年では神社の森が整備され、「巨木の森散歩道」として人気が増えてきた。
廃帝となって淡路島に流された淳仁天皇が父親の舎人親王を祭るために創建したと伝わる。常隆山の頂上付近にあるアジサイや紅葉が美しいことで知られる。
淡路島七福神霊場の総本山の八浄寺の奥の院。本尊の二躯聖観世音菩薩は、兵庫県指定の重要文化財で秘仏。毎年4月10日に大祭があり一年に一度だけこの本尊が一般公開されている(バス運行あり)。境内にある庭園「御岳山」は昭和の小堀遠州とも称えられた中根金作氏の手によるもの。桜の名所としても知られている。
応永年間(1394~1428)開基と伝わる古刹。大黒天が手にする「福労」ともよばれる袋は、積み重なった苦労をいとわず福としてためこむことを意味している。また打出の小槌は弱い心や怠け心を打ち振るためともいわれている。
天平17年(745)に創建され、天明年間(1781~89)に密蔵[みつぞう]・密英[みつえい]の二上人により再建された古刹。江戸中期の絵師円山応挙[まるやまおうきょ]とその弟子たちの手になる襖絵を多数所蔵し、別名応挙寺ともよばれている。有名な『老松孔雀図』をはじめ、一門の障壁画165面すべてと仏像3体が国の重要文化財になっている。円山応挙「孔雀の間」「芭蕉の間」「山水の間」三部屋の襖絵は「再製画」のため、座敷の中まで入ってすぐ近くで襖絵を拝観できる。
聖徳太子の勅命により推古天皇のころ(592~628年)に創建されたと伝わる。甲冑に身を包み、左手に宝の塔、右手に宝の棒を持つ姿が勇ましい毘沙門天は仏法を信じるものを守護してくれ、勇気と決断力を授けてくれる。
元慶2年(880)の開基といわれる梶原氏の菩提寺。運がよければ、ぬぼこの会代表の中川住職に話を聞ける。本堂裏の大胆な石組みの築山式庭園や境内の司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の記念碑はぜひ見ておきたいポイント。県指定の重要文化財の寺宝がある。
社宝の神輿は国指定の重要文化財で、平安期の近衛天皇の母・美福門院が石清水八幡宮に献納した15基のうちの1基との伝承がある。毎年10月第3土・日曜に開催の秋祭りでは、豊作と豊漁を占う「大綱引き」が行われ、浜までの往復約4kmを練り歩く舟だんじりも圧巻。
縁起巻物によれば、永祚2年(990)に淡路州神と称えられたとの記述が残る由緒ある神社。江戸時代には洲本城の鎮守として、藩主の蜂須賀氏の祈願所となり広く崇敬を受けてきた。洲本城の一部を移築した金天閣は、江戸時代初期の建築様式を伝える貴重なもの。大阪中座の閉館により洲本に里帰りした柴右衛門大明神の社もある。
温泉街のほぼ中ほど、春来川の西岸にある古刹だ。但馬七花寺霊場のひとつ。メインの花は珍種の正福寺桜、七花寺が共通の秋の七草を植えている。冬以外はナデシコなどさまざまな花が参拝者を迎える。また、共通の祈願太鼓は参拝者の心に響くと評判。
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