
如意寺
法道仙人によって開かれたという古刹。平安時代、安養尼願西(恵信僧都の姉)によって興された。この一帯は源氏物語「明石の巻」の舞台であり、深山の常行堂や明石入道といった当時の王朝趣味を堂塔のプランに採用しているのが見て取れる。現在は本堂こそなくしているものの、阿弥陀堂(常行堂)は院政時代の建築。三重塔・文殊堂とともに、国の重要文化財に指定されている。
- 「西神南駅」から徒歩17分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
法道仙人によって開かれたという古刹。平安時代、安養尼願西(恵信僧都の姉)によって興された。この一帯は源氏物語「明石の巻」の舞台であり、深山の常行堂や明石入道といった当時の王朝趣味を堂塔のプランに採用しているのが見て取れる。現在は本堂こそなくしているものの、阿弥陀堂(常行堂)は院政時代の建築。三重塔・文殊堂とともに、国の重要文化財に指定されている。
温泉寺は奈良時代に僧・行基が建立。本堂の波夷羅大将立像は重文。湯泉神社は有馬温泉を発見したといわれる大己貴命、少彦名命と熊野久須美命を祀っている。
『源平盛衰記』によると養和元年(1181)に京都で没した清盛の遺骨を当時の住職が持ち帰り、平清盛廟を作ったといわれる。だが現在、遺骨の所在は明らかになってはいない。日本三大仏と言われる大仏を拝観できる。
阪急六甲駅のすぐ南、緑に包まれた古社。社伝では、平清盛が福原に遷都した治承4年(1180)に京都・石清水八幡宮を勧請したことに始まるという。厄除けで知られ、毎年1月18・19日には厄除大祭が盛大に営まれる。イチハラヒロコ著の恋みくじ200円は若者に人気。
地元の人たちに「荒神さん」の名で親しまれている寺。正式は清荒神清澄寺。寛平8年(896)、宇多天皇の勅願寺の一つとして創建されたもので、火の神、台所の神様としても知られ、家内安全、商売繁盛、厄除開運などを願う多くの参拝者でにぎわう。また、境内に清澄寺所蔵の文人画家、富岡鉄斎作品を展示した鉄斎美術館、鉄斎美術館の別館「史料館」がある。大日如来坐像は国指定重要文化財。
商売繁盛の神様として信仰されているえびすさまを祀る、全国の総本社。福の神として信仰をあつめ、1月9~11日の「十日えびす」は毎年100万人もの参拝者で賑わう。特に1月10日早朝に行われる「開門神事福男選び」が有名。プロ野球春の公式戦前には阪神タイガースが必勝祈願に訪れることでも知られる。室町時代に造られた247mの大練塀[おおねりべい]、慶長9年(1604)に豊臣秀頼の寄進による表大門はともに国の重要文化財に指定されている。
聖徳太子が創建したと伝えられる古寺で、西国三十三所第24番札所。本堂や護摩堂などの堂宇は、豊臣秀頼が造営したものといわれる。約700有余体の羅漢像が並ぶ羅漢堂は壮観。本尊の十一面観音(重要文化財)は安産の観音様として知られ、毎月戌の日には、安産の腹帯を授かりに来る人で賑わう。
毎年1月18・19日の厄除大祭で大いに賑わう東光寺は、「門戸の厄神さん」の通称で知られる。弘法大師が開基とされ、東光寺の名は、祀られている薬師如来の住む浄土東方浄瑠璃世界から光を発せられる寺という意味。境内の厄神堂に祀られた厄神明王は日本三躰厄神の一つで、唯一現存する貴重なものだ。
祭神として嵯峨源氏の祖である源融公を祀る。京都六条の河原院の邸宅には、陸奥国塩釜の風景を模して庭園をつくり、この地より毎日20石の潮水を運び、塩を焼かせたと伝えられている。
聖徳太子創建の寺と伝わる。養老2年(718)に七堂伽藍が整い、太子信仰が高まった鎌倉・室町の全盛期には300カ坊を数えた。鶴林寺公園の緑に囲まれた境内に立ち並ぶ国宝の本堂と太子堂、国指定重要文化財の常行堂、鐘楼、行者堂、護摩堂は平安~室町期に造られたもの。宝物館には、国の重要文化財に指定されている白鳳時代の銅造聖観音立像など数々の寺宝を展示。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。