今熊野観音寺(今熊野)
平安時代、嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海が開創。本尊の十一面観世音菩薩は大師自ら彫刻されたと伝わる。西国三十三所第十五番札所、厄除開運の寺として知られ、特に頭痛封じ、頭の観音様として広く信仰を集め、近年ではボケ封じの寺でも有名。紅葉、青もみじの時期の境内は見事だ。
- 「東福寺駅」から徒歩18分/「鳥羽街道駅」から徒歩21分
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平安時代、嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海が開創。本尊の十一面観世音菩薩は大師自ら彫刻されたと伝わる。西国三十三所第十五番札所、厄除開運の寺として知られ、特に頭痛封じ、頭の観音様として広く信仰を集め、近年ではボケ封じの寺でも有名。紅葉、青もみじの時期の境内は見事だ。
鎌倉時代中期に後堀河天皇の勅願所として建立。御本尊は運慶・湛慶親子合作で全長10mの木像の釈迦如来像(重文)。幾度かの移転の後、江戸時代に後水尾天皇が即位争いに巻き込まれ暗殺されかかったときにこのお釈迦様が身代わりに立たれたことから御寺泉湧寺の塔頭となった。
東福寺の塔頭であり筆の寺として知られる。毎年11月23日には、筆塚前で使い古した筆記具を護摩木にくべて感謝する、筆供養が行われる。
境内にはソメイヨシノの他に墨染の地名の起こりと伝えられる、墨染桜がある。この墨染桜は、平安時代の歌人・上野峯雄が時の関白・藤原基経の死を悼み、「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」と詠んだところ、桜が本当に薄墨色に咲いたという云われがある。花は小さく白色の単弁。現在は四代目が花を咲かせる。
平安時代を代表する女流歌人、小野小町の住居跡といわれる寺院。遅咲きの梅の名所としても名高く、楚々とした花に彩られる境内は、美貌で知られた歌人ゆかりの場所にふさわしい。寝殿造の本堂には阿弥陀如来坐像(重要文化財)が安置されている。また小町に寄せられた恋文を下張りにしたという文張[ふみはり]地蔵、片膝を立てて座る卒塔婆[そとば]小町坐像も祀る。小野小町が化粧に使ったという「化粧井」や、小町に届いた1000通もの恋文を埋めたという文塚が残る。
三条通を上った所にある矢田寺は、奈良・矢田寺の元別院。本尊の地蔵菩薩は諸願成就にご利益があるとされる。8月16日の五山の送り火に合わせ、精霊を冥土へ送る「送り鐘」を撞く寺として有名だ。
二条城近くにある神社で、豊臣秀吉が、信仰していた稲荷大神を祀ったのが始まり。秀吉の劇的な出世ぶりから、後に後陽成天皇が命名したそう。平成24年(2012)に上京区から移転。
本堂に本尊の大聖歓喜天[だいしょうかんきてん]を安置しているところから西陣聖天とも呼ばれる。境内には本堂、観音堂、大師堂、不動堂、稲荷堂、庚申堂が並び、その間をさまざまな樹木が彩る。観音堂に安置されているのは、藤原期の作と伝わる千手観音立像(重要文化財)。東門隅には染物がよく染まるという染殿ノ井がある。4月中旬に咲く御衣光[ぎょいこう]という桜は、花びらが緑の珍しいもの。
延暦13年(794)、平安京の方位守護のために創建。方位を司る星神大将軍始め暦神八神を祀っている。御神像80体は国重要文化財。古天文暦資料は京都府指定文化財。
京都・東山三十六峰の一つ、華頂山の麓に広がる浄土宗の総本山。法然上人が承安5年(1175)ここに居を構え、「南無阿弥陀仏」と称えるとすべての人が救われるという念仏の教えを説き、生涯を閉じた念仏の聖地だ。7万3000坪の広大な境内には、法然上人の御廟や2000人が一度に参拝できる御影堂、日本最大級の三門など国宝や重要文化財の多くの伽藍が建ち並ぶ。
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