
廬山寺
天慶元年(938)に元三[がんさん]大師によって船岡山に創建されたが、元亀2年(1571)に織田信長の焼き討ちを免れて現在地に移った。代々皇室の帰依が厚く、本堂は光格天皇の勅命により仙洞御所の一部を移築されたもの。紫式部の邸宅跡としても知られ、「源氏庭」には紫色のキキョウが咲く。節分の日に、3匹の鬼が剣や斧、槌をもって踊り、追儺使[ついなし]が紅白の豆を投げて鬼を追い払う、「鬼の法楽」[おにのほうらく]が有名。
- 「出町柳駅」から徒歩14分/「神宮丸太町駅」から徒歩14分
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天慶元年(938)に元三[がんさん]大師によって船岡山に創建されたが、元亀2年(1571)に織田信長の焼き討ちを免れて現在地に移った。代々皇室の帰依が厚く、本堂は光格天皇の勅命により仙洞御所の一部を移築されたもの。紫式部の邸宅跡としても知られ、「源氏庭」には紫色のキキョウが咲く。節分の日に、3匹の鬼が剣や斧、槌をもって踊り、追儺使[ついなし]が紅白の豆を投げて鬼を追い払う、「鬼の法楽」[おにのほうらく]が有名。
建仁寺の塔頭寺院。境内には平安初期の公卿で学者、歌人としても名高い小野篁[おののたかむら]が冥界へ通ったという伝説の井戸があり、閻魔堂には閻魔大王像と小野篁像を祀る。毎年8月7~10日には「六道まいり」が行われ、盆に帰ってくる精霊をこの世に迎え入れるとされる鐘「迎え鐘」を撞こうと多くの人が訪れる。重要文化財の本尊薬師如来像ほか、寺宝の公開も行われ参道には精霊が宿るとされる高野槙や盆花などを売る露店も出て大勢の参拝者で賑わう。
知恩院にあり、元和7年(1621)に建てられた。現存する木造の門としては日本最大級で、正面約50m、側面約12m、高さ約24mの堂々たるもの。石段下から見上げると圧倒されるような門だ。近づくにつれて見えてくる、木組み細部の幾何学的な美しさも必見。
比叡山を借景にした見事な枯山水の庭園(名勝)が有名だ。後水尾上皇の幡枝御殿(はたえだごてん)が延宝6年(1678)に寺に改められたもので、本堂と庭はかつての「下御茶屋」に当たる。苔が敷き詰められた庭には40数個の石が巧みに配置され、低い生け垣の向こうに霊峰比叡山を望む。
開祖は臨済宗大徳寺の徹翁国師。元禄7年(1694)に卍山禅師が住持し、曹洞宗に改宗。本堂には「血天井」と呼ばれる伏見城の戦いを今に伝える伏見桃山城の遺構や、「悟りの窓」「迷いの窓」があり、北山を借景にした庭園を望むことができる。本堂内に霊芝観世音菩薩を祀る。紅葉時期は駐車場利用禁止。駐車場に関しては要問合せ。
五山の送り火の一つがある船山の麓に佇む。鎌倉時代に創建され、伏見城の遺構である本堂・方丈(重要文化財)には狩野山楽の襖絵(重要文化財)や、血天井の廊下がある。庭は比叡山を借景とする見事な枯山水。
大徳寺の塔頭の一つ。国宝の檜皮葺の方丈(本堂)を取り巻く枯山水の庭園(国指定史跡・特別名勝)は、蓬莱山から大海へ至る水の流れが、石組みや砂利で表現されていて見事。書院の拾雲軒は国指定重要文化財。方丈内は狩野元信筆と伝わる花鳥図(国指定重要文化財)などの襖絵で装飾されている。座禅の体験や抹茶(菓子付)300円も楽しめる。
慈悲の女神、九頭竜弁財天を祀る。本殿を時計回りに9回まわるお千度や、神様より言葉をもらうおみくじが有名。災厄消除をはじめあらゆるご利益がある。
勝林院で声明を修行する学僧の僧坊として建てられた。客殿の西側と南側には庭園が広がる。西の庭にある不断桜は、秋から春にかけて花を咲かせ続ける珍しいもの。茶花を中心に植えられた、季節の花々を楽しみながら散策したい。
賀茂川の水源の山中にひっそりと立つ修験の道場。不動明王を祭ることから岩屋不動とも呼ばれるが、正式には「岩屋山志明院[いわやさんしみょういん]」という。修験道の開祖・役行者が開山、勅願所として空海が創建したと伝わる。巨木が天を覆う山内には、飛竜ノ滝や護摩洞窟など多くの行場があり、歌舞伎十八番「鳴神」の地として、また天然記念物のしゃくなげ林など有名。
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