
帰一寺
臨済宗の古刹。正安3年(1301)、日本に帰化した元(中国)の高僧・一山一寧[いっさんいちねい]が開いたといわれる。参道の両側には杉木立が生い茂り、苔むした石段を上がるとなまこ壁の山門と本堂がひっそりと建つ。
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臨済宗の古刹。正安3年(1301)、日本に帰化した元(中国)の高僧・一山一寧[いっさんいちねい]が開いたといわれる。参道の両側には杉木立が生い茂り、苔むした石段を上がるとなまこ壁の山門と本堂がひっそりと建つ。
池宮神社の境内にあり、約2万年前に砂丘がせき止められて誕生した。皇円阿闍梨[こうえんあじゃり]が龍となって池に入定したと伝えられる神秘の池。9月の彼岸の中日に法然[ほうねん]上人の龍神供養を起源とする「納櫃[のうひつ]祭」が行われる場所としても有名。
伊豆国一宮。旧官幣大社。祭神は大山祇命と事代主神。創建は不明だが、1300年以上の歴史をもち、伊豆諸島の噴火・造島を司る神として朝廷から特別な尊崇を受けた。源頼朝が源氏再興を祈願したことでも知られ、頼朝発給の古文書(重文)、北条政子奉納の「梅蒔絵手箱」(国宝)などゆかりの品も遺る。幕末再建の豪壮な社殿(重文)もみどころ。8月15~17日の例祭は最も盛大な祭典で、手筒花火神事・流鏑馬神事などが続き、市街では各種イベントも開催される。収蔵宝物は宝物館で一部公開。
神亀2年(725)、聖武天皇の勅命で行基が開いた名刹。本尊の正観世音菩薩像は由緒ある厄除観音として名高く、仁王門(重要文化財)から杉並木の参道は多くの参拝者で賑わう。江戸時代から伝わる「厄除だんご」も名物。
建徳2年(1371)、後醍醐天皇の皇子無文元選[むもんげんせん]禅師によって開かれた。杉の老木が茂る鬱蒼[うっそう]とした境内に、本堂・半僧坊真殿・開山堂・三重の塔など、60あまりの堂宇が立ち並ぶ。宿泊研修や座禅、法話の体験可。
天正7年(1579)徳川家康の長男、信康は織田信長に嫌疑をかけられ、二俣城内で自刃した。家康は後に信康供養のため、二俣城の北東の地に清瀧寺を建てさせた。清瀧寺の境内には信康をまつった廟がある。
標高1107mの山住峠にあり、お犬さま信仰で知られる神社。元亀3年(1572)、三方ケ原の戦いで苦戦中の徳川家康を犬たちが一斉に吠えて敵を散らせ、守ったと伝えられる。境内の樹齢1300余年の杉の巨木が見もの。
慶雲元年(704)、文武天皇の勅願で行基が創建したという。15代まで法相宗、16代から天台宗になり36坊を有した。萩の寺として有名で、秋には見物客で賑わう。徳川家康のご朱印目録や、今川義元の寄進状などが拝観できる。山内一豊ゆかりの寺。木喰上人が一晩で彫刻した子安地蔵尊(文化財)が有名。
精霊の森とも呼ばれている、長い歴史をもつ神社。境内はうっそうとした樹木に包まれているが、なかでも県の天然記念物に指定されている樹齢千年を超える大イチョウがひときわ目を引く。この神木が社頭をおおい訪れる人を迎えてくれる。また、神明水という名水が湧き、健康長寿のご利益や手足腰の病を癒すという大足大明神が信仰を集めている。社殿の裏には古代の祭場(うらない岩と龍の岩)がある。このパワースポットは、よきご縁が結ばれるようまつられている。社務所内は松崎文化の香る品々を自由に博覧することができる。ご利益は産業守護、交通航海守護、健康長寿、手足腰守護、良縁守護。
奈良時代の創建といわれ、今川氏や徳川氏から厚く信仰されてきた。本堂は桃山文化の影響を受けたとされる壮大な茅葺屋根。堂内には本尊千手観音立像が安置されるが、60年に一度の開帳で次回は2054年だ。境内にある樹齢1000年の老木、十本杉(天然記念物)も見もの。
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