
蓮王寺
真言寺院の古刹。大宝元年(701)の創建で、越中守佐伯有若が行基を招き、鷹供養のために七堂伽藍を建てたのが始まりとされる。本尊の木造阿弥陀如来坐像は、高さが5mあり、地元で小杉大仏さんとして親しまれている。寺宝の銅造地蔵菩薩立像や越中瀬戸焼の香炉も有名だ。
- 「小杉(あいの風)駅」から徒歩13分
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真言寺院の古刹。大宝元年(701)の創建で、越中守佐伯有若が行基を招き、鷹供養のために七堂伽藍を建てたのが始まりとされる。本尊の木造阿弥陀如来坐像は、高さが5mあり、地元で小杉大仏さんとして親しまれている。寺宝の銅造地蔵菩薩立像や越中瀬戸焼の香炉も有名だ。
木曽義仲が倶利伽羅合戦の戦勝を祈願して以来、武将の崇敬を受け、前田利長や佐々成政から社領を寄進された。義仲戦勝祈願書、武田信玄書状などを社宝とし、境内入口には、義仲の騎馬像と源氏軍が鳩の案内で得たという名水がある。
千光寺の境内にある観音堂で、建物は井波の宮大工によって造営された総欅造り。飛鳥時代の白鳳様式の銅造観世音菩薩立像を安置している。
文明年間(1469~87)に創建されたと伝えられる浄土真宗の古刹。石山合戦の際には塩硝(火薬の原料)を本願寺に送る役割を果たしたといわれ、江戸時代には加賀藩からも手厚い保護を受けた。珍しい茅葺き屋根の山門(鐘楼門)は、飛騨の匠の作といわれている。また、蓮如[れんにょ]上人の書や顕如[けんにょ]上人の香炉などを収蔵している。
放生津八幡宮の秋季例大祭は一般に新湊曳山まつりと呼ばれ、13台の曳山が供奉されることで有名。天平18年(746)、大伴家持が豊前国の宇佐八幡宮から勧請したとされる。現在の社殿は文久3年(1863)に造営されたもので、境内には家持が『万葉集』に詠んだ家持の歌碑、奥の細道の松尾芭蕉の句碑などもある。
インドから渡来した善無畏三蔵[ぜんむいさんぞう]によって養老2年(718)に開かれた名刹。奈良時代に聖武天皇の勅願所として、行基[ぎょうき]が勅命を受けて壮大な伽藍を造営。江戸時代には加賀藩の祈願所になり、2代藩主前田利長が仁王門、観音堂を寄進するなど、数多くの宝物を有する。本堂には珍しい見返阿弥陀如来立像も安置されている。
瑞泉寺の太子堂。大正7年(1918)再建。後小松天皇から下賜されたと伝わる、聖徳太子像を安置している。特に堂宇の籠彫り彫刻は必見。7月21~29日の太子伝会には、同じく後小松天皇から下賜されたと伝わる、8幅の太子絵伝をもとに太子の一生の絵解き説法が行われる。期間中、名物さばずしが食べられる(有料)。
高野山真言宗の寺。白鳳10年(681)の創建時に植えたとされる境内の大イチョウ(天然記念物)は、幹周り約11m、樹高約24mの巨木。また、例年4月18日に開催されるごんごん祭りは、江戸時代の干ばつの際、農民が寺の鐘を鳴らして雨乞いをしたことがその名の由来。力自慢の男衆が長さ2m、重さ60kgの丸太を担ぎ、鐘を何回鳴らせるかを競う。
観音堂の外陣に狩野永徳・山楽が描いたとされる3枚の黒馬の絵馬が掲げられている。元和8年(1622)の寄進銘があり、これには加賀3代藩主前田利常が夫人の産後の健康を願って奉納したという説がある。
蓮如上人の高弟、赤尾道宗[どうしゅう]が室町時代末期に開いた浄土真宗の寺院。併設の赤尾道宗遺徳館(料金:300円、時間:10~15時、休日:12~3月)では、道宗ゆかりの品や棟方志功等の作品を展示。
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