飯沼山円福寺(飯沼観音)
坂東三十三カ所観音霊場の第27番札所。神亀5年(728)、漁師の網にかかった十一面観音像を奉安したのに始まり、弘仁年間(810~24)に東国巡錫[じゅんしゃく]の弘法大師が開眼。十一面観音を安置する観音堂は、道路の向かい側、本坊から北へ100m離れた場所にある。
- 「観音駅」から徒歩6分/「本銚子駅」から徒歩12分
 
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													坂東三十三カ所観音霊場の第27番札所。神亀5年(728)、漁師の網にかかった十一面観音像を奉安したのに始まり、弘仁年間(810~24)に東国巡錫[じゅんしゃく]の弘法大師が開眼。十一面観音を安置する観音堂は、道路の向かい側、本坊から北へ100m離れた場所にある。
													ゆるやかな石段を上った丘の上に見事な彫刻を施した社殿が立ち、眼下に利根川河口の流れを見下ろす。大漁節に唄われるほど信仰の厚い漁師たちの守り神だ。
													清澄山山頂近くに立つ日蓮宗の古刹。日蓮聖人は、12歳でこの山に入山。諸国を遊学後再びここへ戻り、建長5年(1253)、初めて南無妙法蓮華経と唱え布教を始めた寺として知られる。うっそうと茂る大木に囲まれた境内は広大で、大堂・客殿・宿坊・観音堂・鐘楼堂などの堂宇が立ち並び、清澄の千年スギ(天然記念物)や星の井戸、髪塚など旧跡が多い。日本で一番早く初日の出が拝めるスポット、極真空手発祥の地でもある。宿坊1泊2食9500円。宝物館は要予約(1名300円)。
													社殿は権現造り。毎月5と10が付く日に開催される朝市では、大多喜町近郊でとれた新鮮な山の幸・海の幸を割安で手に入れることができる。
													奈良時代に僧・行基(ぎょうき)が諸国行脚の際、成東に立ち寄り、この近海に海難の多いことから海難除けの不動明王尊像を刻み、寺を建立したのが始まりと伝わる。正式名称は長勝寺だが、江戸中期、この不動尊の常夜灯の明かりが荒波を切るように沖合に漂流していた漁船に届き、これを救ったことから浪切不動尊とよばれるようになった。山門をくぐると、標高30mの石塚山中腹に懸崖造[けんがいづくり]の朱塗りの本堂が立つ。トイレがないため、参拝の際は事前に済ませておくと良い。
													仲町朝市通りの突き当りに位置し、勝浦朝市の発祥の場所としても知られる日蓮宗の古刹。境内東側に県の指定天然記念物の樹齢千数百年を超える乳イチョウの巨木がある。枝から垂れる乳柱は最大長2m以上。約60本あり、妊産婦の乳不足解消に霊験あらたかと伝えられている。寺伝によれば千余年の昔、乳不足に悩む婦人を治したある聖僧がいた。その僧の死後、村人たちは僧の徳を偲んで墓上にイチョウを植えたが、そのイチョウは生長するにつれて乳柱を生じ、乳の出ない女性には効能が顕著だ。
													九十九里浜の南端にあり、日本の東に位置する1200年以上の歴史と格式をもつ「延喜式神名帳」にある神社。海の女神・玉依姫命[たまよりひめのみこと]を祀り、古来より女性、特に母性を尊び守護する神社として縁結び・子授け・安産・子育てに御神徳があるといわれる。社殿は、江戸中期の建築で珍しい総黒漆塗りの権現造。毎年9月に行われる県指定無形民俗文化財の上総十二社祭りには、十数基の神輿が参集し、九十九里の大海原を背に裸若衆が疾走する姿が勇壮かつ圧巻だ。境内には、雄株と雌株の間に子どものイチョウが育つ「子授りイチョウ」や「さざれ石」「はだしの道」などがある。
													初代神武天皇の御代に創建されたと伝わる古社。杉の巨木が生い茂る神域・香取の森に、武神を祀る社殿が佇む。現在の本殿(重要文化財)は、元禄13年(1700)に徳川第5代将軍・綱吉が造営。朱塗りの楼門(重要文化財)も同年の建造。明治・大正期の海軍軍人・東郷平八郎の額が掛かり、右手に黄門桜とよばれる徳川光圀手植えの桜が残る。宝物館では、神宮に伝わる海獣葡萄鏡(国宝)などの美術工芸品や古文書を展示。
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