
那古寺(那古観音)
養老元年(717)に僧行基が創建したと伝えられる坂東三十三霊場の結願寺[けちがんじ]。源頼朝や里見氏など、武家の信仰を集めてきた。本尊を模した銅造の千手観世音像は国の重要文化財。本堂横から山頂まではスダジイやタブノキなどの自然林に囲まれた徒歩40分の遊歩道が通じ、山頂からは館山湾が一望できる。
- 「那古船形駅」から徒歩15分
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養老元年(717)に僧行基が創建したと伝えられる坂東三十三霊場の結願寺[けちがんじ]。源頼朝や里見氏など、武家の信仰を集めてきた。本尊を模した銅造の千手観世音像は国の重要文化財。本堂横から山頂まではスダジイやタブノキなどの自然林に囲まれた徒歩40分の遊歩道が通じ、山頂からは館山湾が一望できる。
古刹・萬満寺の金剛力士像は、運慶の作と伝わり、国の重要文化財に指定。1月1~3日(9~15時)と3・10月の27~29日(9~16時)の御開帳時には、無病息災を祈願する仁王尊股くぐり(1回300円)が行われる。
神亀2年(725)、聖武天皇の詔勅により行基が開き、弘法大師が修行したという曹洞宗の古刹。かつては7堂12院100坊を数えた。総面積33万平方mに及ぶ広い境内には、本尊の薬師瑠璃光如来坐像をはじめ、百尺観音や東海千五百羅漢が点在。本尊は高さ約31mある露座の石の大仏で、磨崖仏としては日本一の大きさを誇る。天明3年(1783)、上総桜井の名工・大野甚五郎らが3年かけて刻み、昭和44年(1969)に復元。平成19年(2007)には、鎌倉時代の様式で薬師本殿が再建された。
清澄山山頂近くに立つ日蓮宗の古刹。日蓮聖人は、12歳でこの山に入山。諸国を遊学後再びここへ戻り、建長5年(1253)、初めて南無妙法蓮華経と唱え布教を始めた寺として知られる。うっそうと茂る大木に囲まれた境内は広大で、大堂・客殿・宿坊・観音堂・鐘楼堂などの堂宇が立ち並び、清澄の千年スギ(天然記念物)や星の井戸、髪塚など旧跡が多い。日本で一番早く初日の出が拝めるスポット、極真空手発祥の地でもある。宿坊1泊2食9500円。宝物館は要予約(1名300円)。
本尊は十一面観世音菩薩を安置し、四国・西国・坂東・秩父188か所の霊場の本尊の写しも奉られ、188か所を巡るのと同じ霊験があるそう。
坂東三十三カ所観音霊場の第27番札所。神亀5年(728)、漁師の網にかかった十一面観音像を奉安したのに始まり、弘仁年間(810~24)に東国巡錫[じゅんしゃく]の弘法大師が開眼。十一面観音を安置する観音堂は、道路の向かい側、本坊から北へ100m離れた場所にある。
釈迦の最後の姿を模して横たわる釈迦涅槃仏は、圧倒的な存在感。全長16mで青銅製ガンダーラ様式としては世界最大級。
境内に全長16mの巨大な青銅製ガンダーラ様式の涅槃仏が横たわる。釈迦の最期の姿を模した仏像で、悟りの境地を象徴している。まず線香を供えて3段のらせん状の台座を時計回りし、仏像の足の裏に刻まれた紋に頭をつける右繞三匝[うにょうさんそう]というインドの礼法でお参りする。特に足腰の病に御利益があるといわれ、車椅子での参拝も可能。
安房国一の宮として知られる格式の高い神社。御祭神・天太玉命[あめのふとだまのみこと]はすべての産業の総祖神であり、房総を開拓した当社・下の宮の御祭神・天富命[あめのとみのみこと]の祖神(祖父)として上の宮に祀られ、特にものづくりや商売繁盛の神として広く崇められている。境内は四季の趣に満ち、一年を通して季節ごとの模様を見せてくれる。ことに桜と銀杏の黄葉の時期の境内は華やかに彩られる。
千倉町の小高い山裾に鎮座する神社。料理の祖神、磐鹿六雁命[いわかむつかりのみこと]を祭る。醤油醸造・調味料の神として祭られ、今でも多くの調理関係者、味噌醤油などの醸造業者などが参拝に訪れる。毎年5月17日11時~、10月17日11時~、11月23日12時~には、境内で庖丁式の奉納が行われる。
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