きみさらずタワー
太田山公園の山頂に位置し、木更津の地名にゆかりのある日本武尊と弟橘媛のブロンズ像が立つ。木更津市街や東京湾も見下ろせ、360度の眺望がひらける。
- 「木更津駅」から徒歩18分
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太田山公園の山頂に位置し、木更津の地名にゆかりのある日本武尊と弟橘媛のブロンズ像が立つ。木更津市街や東京湾も見下ろせ、360度の眺望がひらける。
江戸時代に堀田氏の居城であった佐倉城の城跡一帯を整備した公園。城の建物は明治初期にほとんどすべて取り壊されたが、土塁や空堀跡などが残り、往時の面影をとどめている。樹木の茂る園内には芝生広場や散策路、姥が池が配され、桜や初夏の花菖蒲が美しい。
木更津市街の東にあり、駅周辺や東京湾を一望できる丘全体に広がる公園。園内には四季折々の花木が植えられ、山頂のきみさらずタワーや博物館、18世紀初めの代表的民家・旧安西家などが点在する。
八幡岬公園の北東2kmの場所にある展望台。官軍塚とは、戊辰[ぼしん]戦争の末期、函館五稜郭に向かう熊本藩の軍用船が、勝浦川津沖で難破した際の死者130人以上を埋葬供養した場所。眼下に180度広がる太平洋の眺望はすばらしい。敷地内には、山すそに開けた美しい勝浦の港を詠んだ「ひく山は重りあひておのづから小さき港と成りゐたりける」の斎藤茂吉の歌碑も建立されている。
JR久留里駅の東方、標高80~145mの城山に位置している。築城に際して長雨が降り続いた伝説から「雨城[うじょう]」の別名をもつ。戦国時代には房総里見氏が拠点とし、江戸時代には土屋氏や黒田氏といった徳川の譜代大名が居城し明治を迎えた。現在、周辺は城址公園として整備され、本丸跡に2層3階の天守閣、二の丸跡には久留里城址資料館が建てられ、城と郷土の歴史を伝えている。
境川沿いには漁師町として栄えたころの建物が保存されている。漁業を生業としていた旧大塚家は、江戸末期の建築とされる茅葺き屋根の木造平屋。室内には当時を再現した生活用具などが置かれている。千葉県指定有形文化財。
大正4~13年(1915~1924)に志賀直哉が住んでいた場所。ここで、『城の崎にて』『暗夜行路』といった日本文学史を飾る数々の名作を世に送り出した。白樺派の同人をはじめ、芥川龍之介や岸田劉生なども訪れ、芸術家のサロンのような趣を呈していたという。居宅の建物はないが、当時の庭木が残り、ほど近いところに茶室風書斎が移築されている。書斎は土・日曜の10~14時のみ一般公開。雨天の場合は実施しない。
平成22年(2010)4月に国際宇宙ステーション組み立てのミッションに参加するためスペースシャトルディスカバリーに搭乗し、日本人2人目の女性宇宙飛行士となった山崎直子さん。その業績を記念して、松戸市民会館前に記念碑が建立された。松戸市から山崎直子さんに続く、宇宙飛行士が誕生することを願う。
15世紀後半、戦国時代が始まった頃に造られた小金城跡の一部を整備してできた公園。下総国有数の大規模城郭で、地域の政治の中心だったが、豊臣秀吉の関東攻めにより天正18年(1590)に役割を終えた。敵が堀底を道のように移動するのを防ぐため、畑の畝のような仕掛けを施した畝堀は、全国的にも珍しい。土塁もよく残り、当時の姿を偲ぶことができる。
野島埼灯台周辺の海岸地帯を整備した公園。南端岩礁部には朝日と夕日の見えるベンチがあり、南房総でも随一の絶景を誇る。一周20分ほどの散策路には黒御影石で作られた房総半島最南端の碑などのアート作品が点在し、芸術鑑賞も楽しめる。
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