
佐倉城址公園
江戸時代に堀田氏の居城であった佐倉城の城跡一帯を整備した公園。城の建物は明治初期にほとんどすべて取り壊されたが、土塁や空堀跡などが残り、往時の面影をとどめている。樹木の茂る園内には芝生広場や散策路、姥が池が配され、桜や初夏の花菖蒲が美しい。
- 「京成佐倉駅」から徒歩20分
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江戸時代に堀田氏の居城であった佐倉城の城跡一帯を整備した公園。城の建物は明治初期にほとんどすべて取り壊されたが、土塁や空堀跡などが残り、往時の面影をとどめている。樹木の茂る園内には芝生広場や散策路、姥が池が配され、桜や初夏の花菖蒲が美しい。
武家屋敷3棟の中では最も格の高い武家屋敷で、三百石以上の大屋敷に相当。茅葺き屋根の母屋全体がL字状に折れ曲がっているのは、間口の広くない敷地で隣家との間に充分な空き地をとるための工夫。その建築様式から、佐倉に残る武家屋敷の中では最古と考えられている。室内には当時の調度品などをイメージ展示している。
太田山公園の山頂に位置し、木更津の地名にゆかりのある日本武尊と弟橘媛のブロンズ像が立つ。木更津市街や東京湾も見下ろせ、360度の眺望がひらける。
銀色に輝くクジラの尾のモニュメントが目印の公園。約5800平方mの敷地内には散策路が設けられ、花壇を見渡せる丘、藤棚などがあり、これらを眺めながら散策ができる。12~3月はポピーやキンセンカ、4~9月はマリーゴールドやサルビアの花がきれい。
八幡岬公園の北東2kmの場所にある展望台。官軍塚とは、戊辰[ぼしん]戦争の末期、函館五稜郭に向かう熊本藩の軍用船が、勝浦川津沖で難破した際の死者130人以上を埋葬供養した場所。眼下に180度広がる太平洋の眺望はすばらしい。敷地内には、山すそに開けた美しい勝浦の港を詠んだ「ひく山は重りあひておのづから小さき港と成りゐたりける」の斎藤茂吉の歌碑も建立されている。
明治7年(1874)、イギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により造られた高さ約31mのレンガ造りの西洋式灯台。99段のらせん階段を登ったあとに開ける眺望は雄大そのもの。隣接して近代灯台の歩みが分かる犬吠埼灯台資料展示館もある。遊歩道が整備され、荒波が岩に砕ける豪快な海辺の散策が楽しめる。近代化産業遺産(経済産業省)、重要文化財に指定されている。
実測日本地図を初めて完成させた伊能忠敬が、30年余りを過ごした商家。国の史跡に指定されている。
明治13年(1880)の建築で切妻造りの木造2階建て土蔵造。昇り龍、降り龍を配した看板があり、正文堂の文字は巌谷修の書(明治29年(1896))。大黒柱には欅材を用い、2階の窓は開き戸、横引きの土戸、板戸と三重に防火設備を伏した土蔵。江戸の町家に用いられた黒塗りの土蔵作りの店舗の形式を伝えている。土蔵造りの書店は全国でも珍しい。千葉県の有形文化財に指定され、現在では和菓子店となっている。
測量師として名を馳せた伊能忠敬は延享2年(1745)に九十九里町小関で生まれ、10歳まで生家で過ごす。その跡地に造られた1600平方mの公園内には測量に用いた象限儀と本人の銅像が立つ。出生地は千葉県指定史跡に指定。
寛政6年(1794)創業の旧油惣商店は江戸中期安永9年(1780)、本地において酒造業を始め、その後寛政年間より佐原で初めて奈良漬を始めている。店舗は、明治33年(1900)築で、木造寄棟妻入の佐原では珍しい総2階の建築。寛政10年(1798)築で佐原としては最古の土蔵。
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