
光明寺
木更津駅前の富士見通り沿いにある日蓮宗の寺。薬医門をくぐると、境内には本堂、七面堂、客殿、鐘楼堂などが立つ。実話をもとに書かれた歌舞伎の名狂言『与話情浮名横櫛』[よわなさけうきなのよこぐし]で有名な切られ与三郎のものと伝えられる墓があり、歌舞伎役者も参拝に訪れる。
- 「木更津駅」から徒歩3分
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木更津駅前の富士見通り沿いにある日蓮宗の寺。薬医門をくぐると、境内には本堂、七面堂、客殿、鐘楼堂などが立つ。実話をもとに書かれた歌舞伎の名狂言『与話情浮名横櫛』[よわなさけうきなのよこぐし]で有名な切られ与三郎のものと伝えられる墓があり、歌舞伎役者も参拝に訪れる。
日本寺境内の鋸山中腹に点在する。ロープウェー鋸山山頂駅の展望台から下り、徒歩30分ほど歩いて千五百羅漢道に出ると、幾つかの岩窟の中に全部で1553体の石仏が並んでいる。大野甚五郎らが安永8~寛政10年(1779~1798)に彫り続けた羅漢像だ。
源頼朝公が伊勢神宮より勧請して創建され、800年以上の歴史を誇る。天照皇大神、豊受大神など7神を祭る。境内には県の指定天然記念物・まるばちしゃの木(別名なんじゃもんじゃの木)も。20年に1度、鳥居を建て替える神事「式年鳥居本曳祭」を伊勢神宮の式年遷宮に倣って行っている。次回は2045年に行われる。
上総興津[かずさおきつ]駅の西方約700mの場所にある日蓮宗の寺。日蓮に帰依した興津城主・佐久間重貞[さくましげさだ]の館跡という。文永元年(1264)、日蓮に師事して名を日保[にほ]と改めた重貞の子長寿丸が、邸内に一宇を建立したのが開基と伝えられる。境内には、本堂、楼門、鐘楼などが立ち、入母屋造の山門は江戸末期の建築と伝えられ、市の指定文化財になっている。
ゆるやかな石段を上った丘の上に見事な彫刻を施した社殿が立ち、眼下に利根川河口の流れを見下ろす。大漁節に唄われるほど信仰の厚い漁師たちの守り神だ。
地元では崖の観音として親しまれるように、観音堂は舞台造で、船形山中腹の断崖に、朱塗りの堂が張り付くように立っている。行基により養老元年(717)に開基され、関東大震災後、大正14年(1925)に再建された。堂の奥には行基が漁師の安全と豊漁を祈願して刻んだとされる高さ1.5mの磨崖仏がある。
初代神武天皇の御代に創建されたと伝わる古社。杉の巨木が生い茂る神域・香取の森に、武神を祀る社殿が佇む。現在の本殿(重要文化財)は、元禄13年(1700)に徳川第5代将軍・綱吉が造営。朱塗りの楼門(重要文化財)も同年の建造。明治・大正期の海軍軍人・東郷平八郎の額が掛かり、右手に黄門桜とよばれる徳川光圀手植えの桜が残る。宝物館では、神宮に伝わる海獣葡萄鏡(国宝)などの美術工芸品や古文書を展示。
御祭神の日本武尊が東征の際に、この地で吉備武彦、大伴武日連たちと待ち合わせたことから「待土」が松戸といわれるようになったと伝わる。春は境内のソメイヨシノが美しい。令和元年(2019)10月18日に、天皇陛下の御即位を奉祝して修復された大神輿に四神像、獅子屋台、大榊、日章月章旗が供奉する神幸祭が斎行される。
狸ばやしの童謡のモデルとなった寺。浄土真宗本願寺派の学問寺として、また、寺子屋として古くから親しまれてきた。境内で踊っていたタヌキと和尚の伝説にちなみ、野口雨情[うじょう]が作詞、中山晋平が作曲したのが『証城寺のたぬきばやし』だ。萩やヤマブキの名所として知られる庭園には、野口雨情の詩碑のほか、大タヌキを葬ったという狸塚もある。
今から1400年前に聖徳太子によって開かれた関東屈指の古刹。春はお花見、秋は紅葉の名所として知られ、国指定重要文化財の表門など歴史ある建物が点在する。
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