
定義如来(西方寺)
縁結び・子授け・安産にご利益のある寺。平家滅亡の際に源氏の追討を逃れた平貞能が、中国伝来の阿弥陀如来宝軸を安置したのが起源という。本堂は宝形造で正面に唐破風をもつ珍しい造り。五重塔や由来に関する資料を展示する資料館(無料)がある。
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縁結び・子授け・安産にご利益のある寺。平家滅亡の際に源氏の追討を逃れた平貞能が、中国伝来の阿弥陀如来宝軸を安置したのが起源という。本堂は宝形造で正面に唐破風をもつ珍しい造り。五重塔や由来に関する資料を展示する資料館(無料)がある。
この地点はかつて蔵王大権現への参詣路にあった弐の鳥居があった場所。昭和37年(1962)の蔵王エコーライン開通を記念して昭和44年(1969)にこの大鳥居が建てられ、霊峰蔵王山への入口を示す。
大同2年(807)、坂上田村麻呂が東征の折りに建立し、後に慈覚大師が五大明王像を安置したことから五大堂と呼ばれる。現在の建物は、伊達政宗公が桃山式建築手法の粋をつくして再建したもの。33年に一度五大堂の中に安置された五大明王像が一般公開される。
日本三弥勒尊の一つで、縁結びの寺としても有名。毎年開かれる8月15・16日の弥勒尊大祭に3年連続参拝すると亡くなった人に会えるといわれている。本尊の弥勒菩薩座像は県の重要文化財に指定されているが、33年ごとの御開帳。
陸奥国延喜式内社[むつのくにえんぎしきないしゃ]100社を合祀し、国司が祭事を行うために建立した神社。鹽竈[しおがま]神社に詣でる前に参拝しないと、神の加護を得られないといわれている。
伊達政宗の重臣、古川城主・鈴木和泉守元信[すずきいずみかみもとのぶ]が、廃寺同然だった古寺を再興したもの。山門は室町時代の様式を受け継ぐ、古川城の搦手門[からめてもん]を移築。重厚な2階建てが特徴。境内には元信の墓所や記念碑がある。
境内にある姥杉にちなみ、杉薬師の呼び名で親しまれる。木造薬師如来坐像(重要文化財)は平安時代中期の作といわれ、東北地方に現存する仏像では最古級の一つ。ほかに、増長天立像(重要文化財)と持国天立像(重要文化財)もある。拝観は5月8・9日のみ(1人300円)、要予約。
賽の磧の駐車場向いにある。昭和27年(1952)に仙台石に刻まれた延命地蔵尊が祭られた。
天長5年(828)、慈覚大師によって開創された天台宗延福寺が前身と伝わる。13世紀中頃、北条時頼公によって臨済宗円福寺が建立された。その後慶長14年(1609)、伊達家の菩提寺として政宗公が5年の歳月をかけて瑞巌寺を完成させた。本堂・庫裡及び廊下は国宝に指定されている。その他、御成門・中門・太鼓塀は国指定重要文化財。
金華山の中腹にある天平21年(749)創建の古社。金銀財宝の守護神、漁農商開運招福の神として信仰を集め、3年続けてお参りすれば、一生お金に困らないと伝えられる。参道沿いには大切に保護されているシカのいる鹿山公園がある。毎年10月第1日曜には角切り行事を開催。
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