
鹽竈神社
東北鎮護・陸奥國一宮として、古くから信仰を集めてきた鹽竈神社。創建は不詳だが、平安初期にはすでに東北最大の神社として厚い崇敬を受けていた。現在の社殿は伊達家四代藩主・網村公、五代藩主・吉村公の時代、9年の歳月をかけて建設され宝永元年(1704)に竣工されたもので、国の重要文化財に指定。3月下旬~4月下旬が見頃の鹽竈ザクラ(国指定天然記念物)、葉書の語源とされるタラヨウなど境内には珍しい植物が多い。
- 「本塩釜駅」から徒歩15分/「西塩釜駅」から徒歩19分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
東北鎮護・陸奥國一宮として、古くから信仰を集めてきた鹽竈神社。創建は不詳だが、平安初期にはすでに東北最大の神社として厚い崇敬を受けていた。現在の社殿は伊達家四代藩主・網村公、五代藩主・吉村公の時代、9年の歳月をかけて建設され宝永元年(1704)に竣工されたもので、国の重要文化財に指定。3月下旬~4月下旬が見頃の鹽竈ザクラ(国指定天然記念物)、葉書の語源とされるタラヨウなど境内には珍しい植物が多い。
石雲寺前庭の崖上にあるコウヤマキ(高野槙)は根周り9.7m、幹周り5.49m、樹高23mのみごとな円錐形をしている。県の天然記念物。境内には、茅葺き総ケヤキ造りの茂庭家霊屋があり、木造彩色座像を安置。1月16日と8月16日の年2回開帳される。
藩政時代から安産・子授け・縁結びの神として東北地方に広く知られる。祭神は木花佐久夜比売命[このはなさくやひめのみこと]、大山昨命[おおやまくいのみこと]、天照大御神[あまてらすおおみかみ]、応神天皇の4柱。
鹽竈[しおがま]神社の末社。製塩法を伝えたとされる鹽土老翁神[しおつちおぢのかみ]を奉り、塩竈の名前の由来となった直径180cmの大鉄釜4口が安置されている。毎年7月6日には古代製塩法「藻塩焼神事[もしおやきしんじ]」での塩づくりの神事が行われ、7月10日の鹽竈神社例祭に供えられる。
津山杉が立ち並ぶ山麓に立つ。通称・横山不動尊。本堂には高さ275cm、木造の不動明王(重要文化財)の坐像が安置され、その胎内には黄金の尊像が納められている。境内には青銅五重塔も立ち、池には「お不動さまの御使姫」といわれるウグイが生息。天然記念物に指定されている。現在は東日本大震災の影響によりJR気仙沼線は柳津~気仙沼間で復旧していない為、BRTバスで陸前横山駅へ行くことをおすすめ。
名取熊野三社は、全国で唯一紀伊熊野三山と地理的・方角的に同じく、三社別々に観請している。熊野那智神社は高舘山の山頂に鎮座し、当初羽黒大権現のみを祀っていたが、その後、名取老女が熊野三社を観請したことにより、那智の分霊を合祀して「熊野那智神社」と改称したといわれている。後世では伊達家の厚い崇敬を得て、社殿の造営や社地の寄進などを受けた。また紀州熊野那智大社のご神体は滝だが、名取熊野那智神社の社殿の背後の谷にも小さな滝があり、「滝沢不動尊」というお不動さまが祀られている。
片倉家の菩提寺で、初代片倉小十郎景綱の墓標と伝わる一本杉も見られる。歴代の正室、片倉家にゆかりの深い家臣の墓などがある。
1177年(治承元)、藤原秀衡[ひでひら]によって建立されたもので、平安時代の阿弥陀堂としては宇治平等院、大原三千院、平泉中尊寺、いわき白水[しらみず]阿弥陀堂と並ぶ、全国7ヵ所の一つ。本尊阿弥陀如来像とともに国の重要文化財。阿弥陀如来像拝観は要予約(2019年秋まで阿弥陀如来像は修理中により拝観休止中)。
蔵王刈田岳山頂に鎮座する神社。レストハウスから歩いてすぐのところにあり、ここからの眺めもよい。祭神は天之水分神[あまのみくまりのかみ]、国之水分神[くにのみくまりのかみ]。明治5年(1872)に水分[みくまり]神社と改め、明治8年(1875)に刈田嶺神社と称するようになった。
永祚元年(989)京都に住んでいた小鍛冶宗近[こかじむねちか]が、水神社の水を使って天皇の刀をつくる際、うるさいカエルを静めるために水中に投げ入れた金蛇を奉納したのが社名の由来。創建は不詳。商売繁盛、金運円満、厄除開運の神として親しまれている。周囲を数百株のツツジに囲まれた、1000坪の牡丹園もある。見ごろは5月中旬。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。