
新薬師寺
天平19年(747)、聖武天皇の病気平癒を祈願して光明皇后が建立したと伝わる。すっきりした美しさを見せる天平建築の本堂(国宝)は、床が瓦敷。内陣には円形の須弥壇[しゅみだん]を設け、本尊木造薬師如来坐像(国宝)を安置する。本尊を守護する塑造十二神将立像(国宝)は天平時代の作(1体は昭和の補作)。憤怒の形相がすさまじく、躍動感にあふれる。
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天平19年(747)、聖武天皇の病気平癒を祈願して光明皇后が建立したと伝わる。すっきりした美しさを見せる天平建築の本堂(国宝)は、床が瓦敷。内陣には円形の須弥壇[しゅみだん]を設け、本尊木造薬師如来坐像(国宝)を安置する。本尊を守護する塑造十二神将立像(国宝)は天平時代の作(1体は昭和の補作)。憤怒の形相がすさまじく、躍動感にあふれる。
安産・子授け祈願の寺として全国から参拝者が絶えない。文徳[もんとく]天皇の皇后藤原明子[ふじわらのあきらけいこ]がこちらの地蔵菩薩に祈願したところ、清和[せいわ]天皇を出産。喜んだ文徳天皇が伽藍を整え、天安2年(858)、「腹帯が無事に解け、安産できた寺」帯解寺[おびとけでら]と名付けられた。穏やかな表情の本尊木造地蔵菩薩半跏像は重要文化財に指定されている。
光明皇后が、父藤原不比等[ふひと]の邸宅跡に建てた総国分尼寺で、法華滅罪之寺[ほっけめつざいのてら]と称した。平安遷都後は衰退したが、慶長6年(1601)に豊臣秀頼、淀殿により現在の本堂(重要文化財)、鐘楼(重要文化財)、南門(重要文化財)が再建された。本尊の木造十一面観音立像(国宝)は光明皇后がモデルといわれるが、特別開扉時以外は御分身(模刻像)を拝する。本坊の庭園は名園として名高い。
国宝の本尊盧舎那仏(大仏)を安置する、東大寺の金堂。廻廊と中門に囲まれた壮大な建築で、間口約57m・奥行き約50m・高さ約48m。江戸時代の再建で創建時より間口が3分の2に縮小されているが、それでも木造古建築としては世界最大級だ。銅造の盧舎那仏は高さ約15m。華厳経の教主とされ、世界の真理そのものを体現する仏さまという。頭部は江戸時代のもので、補鋳を重ねてはいるが、台座から膝を中心に天平創建時の部分を多く残す。大仏殿前の金銅八角灯籠(国宝)は高さ約4.6m。楽器を奏でる音声[おんじょう]菩薩が浮き彫りされている。
春日大社南門前の100mほど南、石燈籠が密集する御間道[おあいみち]の奥に社殿が佇む。師走に春日若宮おん祭[まつり]が行われることで知られる、春日大社の摂社。本社の祭神天児屋根命の御子神、天押雲根[あめのおしくもね]命を祭ることから若宮と呼ばれる。本殿は本社と同じ大きさの一間社春日造で、江戸時代の建築。神楽殿[かぐらでん](重要文化財)は桃山時代の再建だが、平安朝寝殿造の形式を伝えている。
嵯峨天皇の勅願で弘仁5年(814)に創建。奈良県指定有形文化財の本堂には虚空蔵菩薩を安置。「高樋[たかひ]の虚空蔵[こくぞう]さん」と親しまれ、13歳になった子どもに知恵を授けてもらう十三参りで知られる。明星堂の空海作と伝わる木造明星菩薩立像は国指定重要文化財だ。
昭和45年(1970)唐招提寺に建てられた鉄筋コンクリートの収蔵庫で、境内東方にある。工芸、絵画、経文類など多数の寺宝のほか、破損仏も収蔵している。唐招提寺のトルソーと呼ばれる、頭と手がない如来形立像(重要文化財)も収められている。「天平の甍[いらか]」で有名な金堂の鴟尾[しび]を公開中。
大和国水分四社(都祁、宇陀[うだ]、吉野、葛城[かつらぎ])の一つであり、水の神様として信仰される。こんもりとした森の奥に鎮座する現在の本殿(重要文化財)は、室町時代に建てられたもので、一間社春日造、檜皮葺き。本殿前にある1対の狛犬は鎌倉時代末期作といわれ、一般のものと比べ頭が小さいのが特徴。
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