
田原坂公園
明治10年(1877)に起こった西南戦争最大の激戦地、田原坂頂上一帯にある公園。両軍の戦没者約1万4000人の名前が刻まれた慰霊碑や、砲弾の跡が生々しく残る弾痕の家(復元)がある。公園内に熊本市田原坂西南戦争資料館もある。
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明治10年(1877)に起こった西南戦争最大の激戦地、田原坂頂上一帯にある公園。両軍の戦没者約1万4000人の名前が刻まれた慰霊碑や、砲弾の跡が生々しく残る弾痕の家(復元)がある。公園内に熊本市田原坂西南戦争資料館もある。
農業の歴史を学べる体験型テーマパーク。バラ園、多くの遊具が並ぶわんぱく広場、グランドゴルフコースなど、広大な敷地に多くの施設を備える。夏休みは、水深の浅い水遊び広場で遊ぶことができる。
水俣市市街地近郊の標高333mの中尾山山上に位置する公園。園内には、多目的グラウンドや自然体験広場、秋のコスモス園が人気の中尾山頂上広場花畑などが整備されており、駐車場の第2展望台からは市内を、頂上の第1展望台からは恋路島・二子島などの島々が浮かぶ不知火海(八代海)を一望できる。天気がよければ第1と第2の展望台を繋ぐ中尾山スカイロードから長島の風車や雲仙岳も眺めることも。道路沿いには桜並木もあり、春訪れる人々の目を楽しませる。
芝生広場に大型コンビネーション遊具「ひごっこジャングル」や小さな子供も遊べる遊具を完備する。遊具下の地面はゴム舗装になっている。
宮本武蔵の銅像と「新免武蔵居士石塔」と記された墓石があり、剣聖宮本武蔵の墓所の一つ。武蔵広場ゾーン、日本庭園ゾーンなどがあり憩いの場として親しまれている。
肥後細川家の初代熊本藩主細川忠利公から三代にわたり造営された回遊式庭園。阿蘇の伏流水が湧き出る池を中心に、築山、浮石、松などを眺めつつ優雅に散策できる。園内には明治11年(1878)に創建された出水神社があり、肥後細川家初代細川藤孝(幽斎公)ほか、歴代藩主やガラシャを祀っている。池のほとりには京都から移築された「古今伝授の間」がある。敷地内にある能楽殿では8月には薪能が奉納され、また、馬場では毎年春・秋の大祭に流鏑馬が奉納される。
大自然が広がるレジャースポットにあるキャンプ場。ロッジのベランダには、バーベキューテーブルが設置されており、熊本市のシンボルとして知られる金峰山などを眺めながらバーベキューを満喫できる。晴れた日には、雲仙普賢岳の眺望も可能だ。キャンプ場のほか、野外ステージなども併設。カブトムシの形をしたドームなど、ユニークな施設も揃う。
「道の駅 錦」に隣接する広大な広場と巨大アスレチック遊具がある公園。丘の起伏を活かし、25種類以上の遊具を備えた「わんぱく。冒険ワールド」という巨大アスレチック複合遊具や、傾斜を活かして滑り降りる芝スキーが人気。すべり台やシーソー、鉄棒、健康遊具もあり、子どもから大人まで楽しめる。アスレチックのほかに、わくわく冒険広場等の広い芝生広場もあり、遊び場が充実。隣接している道の駅錦の農産物直売所では、手作りのまんじゅうやプリンのほかに、ソフトクリームなどを販売していて休憩にもピッタリ。RVパーク、EV充電器も完備している。
約80万平方mの広さをもつ自然公園。森ではバードウォッチングや自然観察、森林浴、紅葉狩りハイキングと、四季の移り変わりが楽しめる。
元和5年(1619)の大地震で麦島城が崩壊したため、熊本藩主加藤忠広[かとうただひろ]が幕府の許可を得て、城代の加藤正方[かとうまさかた]に命じて新たに築かせたのが元和8年(1622)竣工の八代城。石垣には白島産などの石灰岩が用いられ、その色から近代以降白鷺城[しらさぎじょう]と呼ばれることもあった。明治17年(1884)には本丸跡に後醍醐天皇の皇子である懐良親王[かねよししんのう]を祀り立てられた八代宮が鎮座し、現在は八代市の中心的な歴史公園として多くの市民に親しまれている。平成26年(2014)に国史跡に指定された。
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