
中浦ジュリアン記念公園
天正遣欧少年使節の一員だった中浦ジュリアンの生地に隣接する記念公園。記念展望台の1階には展示室があり壁画でジュリアンの生涯を示している。屋上にはジュリアンの像が立つ。
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天正遣欧少年使節の一員だった中浦ジュリアンの生地に隣接する記念公園。記念展望台の1階には展示室があり壁画でジュリアンの生涯を示している。屋上にはジュリアンの像が立つ。
造船と焼酎の醸造で有名な大島は、大島大橋で西彼杵半島と結ばれている。百合岳公園の山頂展望台からは島全体を一望できる。
大島大橋は平成11年(1999)11月11日11時11分11秒に開通した全長1095mの白く優美なシルエットの斜張橋。公園内には観光案内所やレストハウスが併設されており、橋を眺めながら、ゆっくりとランチが楽しめる。「風の花びら」というモニュメントや芝生広場、桜、梅林が広がる。平成31年(2019)11月に、リニューアルした展望台から眺める大島大橋の白と青空のコントラストがとても綺麗。
平戸城の二の丸跡に整備された、亀岡神社に隣接する公園。桜の名所で、開花した花の中に、さらにつぼみをつける二度咲き桜が境内にある。秋はおくんちで賑わい、樹齢400年のマキ並木の散策も楽しめる。
的山大島[あづちおおしま]にある公園で、散策遊歩道があり、ハイキングコースに最適。展望台からは唐津、平戸、五島列島などが眺望できる。
平戸瀬戸を隔てて平戸城や平戸ザビエル記念教会を望む小高い丘の洋風庭園。江戸幕府のキリスト教禁教令でマカオへ追放され、元和7年(1621)に日本に再潜入したイタリア人宣教師カミロ・コスタンツォ神父。生月島や納島で伝道を続け、翌年、五島の宇久島で捕えられ、田平のこの地で火刑となった。その殉教地の跡地に整備されたのがこの公園。公園内には、業火の中のカミロ神父の姿を表した大きなモニュメントがあり、そばには神父の来歴と殉教の様子が銅板に記された殉教之碑が立ち、悲しい時代を今に伝えている。毎年秋には殉教祭が行なわれている。
中通島の一角、頭ヶ島や平島を望む海岸沿いに整備された広場。慶応2年(1866)5月、坂本龍馬が組織した亀山社中が所有する洋型木造帆船ワイル・ウエフ号が潮合崎[しおやざき]沖で遭難。寺田屋事件で受けた傷で療養中だった龍馬は、この地に駆け付け村役に慰霊碑の建立を依頼したという。広場には「龍馬ゆかりの地」と記された碑とワイル・ウエフ号の舵取り棒のレプリカがあり、池内蔵太ら12名の若き志士たちの冥福を祈る龍馬のブロンズ像が潮合崎沖を望んで立つ。実物の舵取り棒は、広場近くにある民宿「潮騒」に保管されている。
遣唐使船の日本最後の寄泊地として『肥前風土記』に記されている魚津ヶ崎を整備した公園。園内には「遣唐使船寄泊地」の碑が立ち、春は菜の花、梅雨期はアジサイ、夏はヒマワリ、秋はコスモスが一面に咲き誇る景観は見事。海に沈む夕日の美しい公園としても知られている。バンガローのあるキャンプ場もあり、近くの浜田海水浴場での海水浴や磯釣りを楽しむこともできる。
五島家第三十代盛成の隠殿(隠居所)として、石田城の二の丸の西南端に建てられ、「隠殿屋敷」とも呼ばれた。設計は京都の僧・全正で、金閣寺の丸池を模した回遊式庭園は、風情があり心を和ませてくれる。庭石と築山は鬼岳の溶岩を用いており、ビロウやソテツなどの亜熱帯植物を多く配しているのも特徴。作庭時期が明確で、建物も一体となって保存されており、数少ない城郭内の庭園であることから国の名勝に指定されている。「心」の文字をかたどった心字が池には、亀が好きだった盛成公らしく、いたるところに亀に似た石が配され、池畔には樹齢840年のクスノキが立つ。文久元年(1861)落成の書院内では、玄関の間の屏風に書かれた全正の辞世の句が見事。客間の「亀の間」では釘隠しや欄間にかわいらしい亀が配され、盛成の居間「梅の間」では、左右で異なる障子の桟のデザインや藍染と金箔が施された梅の壁紙がモダンさを感じさせる。
昆虫館と野外の畑、水辺、林、草はらの4つの観察ゾーンからなり、4万1000平方mの広さをもつ自然園。解説員が常時案内している。
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