
船岡山
京の市街地、特に西陣一帯が見渡せる景勝地。東西200m、南北100mのなだらかな丘陵で、平安時代からその美しさが京の人々に愛されてきた。清少納言も「岡は船岡」と讃えている。応仁の乱では西軍の山名宗全が城砦を築き、戦いの場にもなった。現在は遊歩道が延び、船岡山公園として京都市民の憩いの場になっている。
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京の市街地、特に西陣一帯が見渡せる景勝地。東西200m、南北100mのなだらかな丘陵で、平安時代からその美しさが京の人々に愛されてきた。清少納言も「岡は船岡」と讃えている。応仁の乱では西軍の山名宗全が城砦を築き、戦いの場にもなった。現在は遊歩道が延び、船岡山公園として京都市民の憩いの場になっている。
野宮神社から天龍寺の北側を通って大河内山荘庭園へ通じる長さ400mほどの見事な竹林の小径。青々とした竹は空を覆うほど高く、晴れた日は竹林からもれる日差しを浴びて、気持ちよく散策できる。天気が悪いと昼でもほの暗いがそれもまた趣がある。夕暮れ時も幻想的で、まるで異次元に迷い込んだかのよう。京を代表する風景であり、テレビドラマなどにもよく登場する。
京都市北部の桟敷ヶ岳付近を水源に、大阪湾に注ぐ桂川の合流点まで、京都市街を南北に貫く約23kmの河川。川辺に住んでいた賀茂氏ゆかりの上賀茂・下鴨神社に因んで、高野川との合流点から上流を賀茂川、下流を鴨川とも呼ぶ。江戸時代の河川整備で直線的な川になり、河原には芝居小屋や茶店ができた。夏の風物詩「納涼床(川床)」は、見世物見物の人々が流れに床几を並べ、涼を取ったのが始まり。現在、河川敷には「花の回廊」や「緑の回廊」、橋下には「鴨川ギャラリー」が整備され、四季折々に訪れる人々を癒してくれる。
詩仙堂への道筋にある松の木。宮本武蔵と、足利将軍家の剣道指南役を務めた吉岡清十郎の門弟が決闘した場所と伝わり、「宮本・吉岡決闘之地」の碑が立つ。もとは比叡山への道標として植えられたという。
清滝川渓谷は紅葉の名所として知られ、清滝を起点に高雄までは錦雲渓、下流の落合までは金鈴峡と呼ばれている。整備された川沿いの道は東海自然歩道に指定され、ハイキングコースとして親しまれている。金鈴峡は約1.5km(約30分)で、紅葉のほかに桜や藤、新緑などが楽しめる。
古くからの修験道場、信仰の山として知られる笠置山上に位置し、1300年の歴史を持つ笠置寺境内にある公園。標高289mの山域には、アカラシやクヌギ、アオキなどが自生し、ほぼ全山が広葉樹におおわれている。またふもとの河原には桜が植えられ、花見や紅葉の観光客で賑わう。弥勒石、虚空蔵石、薬師石で造られた石仏や、名切石、太鼓石等の名石などがあり、これらの景観を保全するために京都府立自然公園に指定されている。笠置寺十三塔や解脱鐘は重要文化財に指定されている。
南丹市の南西部にある約4kmの渓谷。通天湖から流れ落ちる水が清流となり、奇岩や樹木の間を縫う。両岸は、色鮮やかな紅葉の名所。一帯は京都府立自然公園で遊歩道が整備されているため、ハイキングコースとしても知られている。国指定史跡名勝天然記念物。
のどかな田園風景が広がる北嵯峨にある観月の名所。周囲約1kmのこの池は、一説に嵯峨野を開拓した秦氏の手によって造られたといわれる。平安時代には池の畔に月見堂や釣殿などがあり、西行や藤原定家らの和歌にも詠まれた。
清滝川渓谷は紅葉の名所として知られ、清滝を起点に高雄までは錦雲渓、下流の落合までは金鈴峡と呼ばれている。整備された川沿いの道は東海自然歩道に指定され、ハイキングコースとして親しまれている。錦雲渓は約3km(約1時間)で、紅葉のほかに桜や藤、新緑などが楽しめる。
亀岡から京都・嵐山までの保津川沿い、約16kmの渓谷。保津川は、慶長11年(1606)京都の豪商・角倉了以[すみのくらりょうい]が、丹波から京へ木材・薪炭などを運搬する運河として開削したもの。明治末ごろからは船下りが人気を集めるようになり、夏目漱石も乗船している。春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と四季折々の渓谷美を楽しめ、保津川下りや嵯峨野トロッコ列車など近年観光客で賑わっている。
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