嵐山
平安の貴族たちが船遊びをした大堰[おおい]川を挟んで、小倉山(亀山)と向かい合う山。大堰川に架かる渡月橋を中心に、この付近一帯も含めて嵐山と呼ぶことも多く、京都の代表的観光地。保津川下りの下船地点にもなっている。
- 「トロッコ嵐山駅」から徒歩16分/「嵐山(京福)駅」から徒歩21分
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平安の貴族たちが船遊びをした大堰[おおい]川を挟んで、小倉山(亀山)と向かい合う山。大堰川に架かる渡月橋を中心に、この付近一帯も含めて嵐山と呼ぶことも多く、京都の代表的観光地。保津川下りの下船地点にもなっている。
陸奥の松島、安芸の宮島と並ぶ日本三景の一つ。宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる幅20~170m、全長約3.6kmの細長い砂州[さす]のことで、白い砂浜には約6700本もの松が生えている。一帯は天橋立公園として整備され、「白砂青松百選」「日本の道百選」「名松百選」等に選定。陸からの眺めは北側の成相山中腹の傘松公園か、南側の文珠山頂上の天橋立ビューランドが最適。ケーブル・リフト・モノレールなどで上ることができる。砂州の途中には橋立明神や岩見重太郎仇討ちの場、与謝蕪村の句碑、与謝野寛・晶子の歌碑、命名松とみどころが点在。国特別名勝。
南丹市の南西部にある約4kmの渓谷。通天湖から流れ落ちる水が清流となり、奇岩や樹木の間を縫う。両岸は、色鮮やかな紅葉の名所。一帯は京都府立自然公園で遊歩道が整備されているため、ハイキングコースとしても知られている。国指定史跡名勝天然記念物。
丹後半島最北端の岬。若狭の海岸や能登半島を望める。僧が悪龍を退治するために経典を納めたという伝説から名付けられた。明治建築の高さ12.5mの白い灯台がある。
御所の北東に賀茂川と高野川の合流点がある。この2つの川に挟まれた一帯は古くから糺ノ森、または河合の森と呼ばれ、平安時代は潔斎の地として知られていた。河合神社より下鴨神社に至る広大な森の面積は約12万平方m。樹木の中を泉川の清流が流れて、古代の森の名残を伝える。
道の駅ふれあい広場から、かやぶきの里に向かう途中、左手を眺めると現れるのが蓮如の滝。浄土真宗中興の祖といわれる蓮如上人が、文明7年(1475)越前吉崎より小浜を経てこの滝を絶賛したので、それ以来、蓮如の滝と呼ばれている。高さ68m上から、3分の1は直下し、後は傾斜を滑り落ちる、いわゆる滑滝[なめたき]の形になっていて、雨後の眺めは絶景だ。
夜に賑わう木屋町通と並行して流れている川で、森鴎外の『高瀬舟』で有名。慶長年間(1596~1615)、豪商・角倉了以[すみのくらりょうい]が大坂との物資輸送のために開いた全長10kmの運河で、二条から伏見を経て宇治川に合流する。高瀬舟を使った物資流通は江戸時代に繁栄を極めたが、大正9年(1920)には交通機関の発達により舟運が途絶えた。往時の面影を知るには木屋町二条にある一之船入跡[いちのふないりあと](史跡)へ。掘割には、復元された全長11.3m、幅2.3mの十五石積の高瀬舟が係留されている。
大覚寺が嵯峨天皇の離宮だった時代に、その林泉として造られたもの。周囲約1kmの池の堤には、桜や紅葉、松が植えられ、池の中には天神島と菊ケ島が浮かぶ。北には、百人一首の藤原公任[ふじわらのきんとう]の歌で知られる名古曾[なこそ]の滝跡とする滝組跡も残る。古来、観月の名所としても知られる。
古くからの修験道場、信仰の山として知られる笠置山上に位置し、1300年の歴史を持つ笠置寺境内にある公園。標高289mの山域には、アカラシやクヌギ、アオキなどが自生し、ほぼ全山が広葉樹におおわれている。またふもとの河原には桜が植えられ、花見や紅葉の観光客で賑わう。弥勒石、虚空蔵石、薬師石で造られた石仏や、名切石、太鼓石等の名石などがあり、これらの景観を保全するために京都府立自然公園に指定されている。笠置寺十三塔や解脱鐘は重要文化財に指定されている。
京の市街地、特に西陣一帯が見渡せる景勝地。東西200m、南北100mのなだらかな丘陵で、平安時代からその美しさが京の人々に愛されてきた。清少納言も「岡は船岡」と讃えている。応仁の乱では西軍の山名宗全が城砦を築き、戦いの場にもなった。現在は遊歩道が延び、船岡山公園として京都市民の憩いの場になっている。
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