三角西港
平成27年(2015)7月に世界文化遺産に登録された三角西港は、明治20年(1887)に開港。長さ756mにも及ぶ石積みの埠頭や、水路など当時の最新技術を駆使して造られた。宮城・福井の港と並ぶ「明治三大築港」と呼ばれ、国内外の貿易拠点として賑わった。築港当時の姿をほぼ完璧に残している港湾施設。
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平成27年(2015)7月に世界文化遺産に登録された三角西港は、明治20年(1887)に開港。長さ756mにも及ぶ石積みの埠頭や、水路など当時の最新技術を駆使して造られた。宮城・福井の港と並ぶ「明治三大築港」と呼ばれ、国内外の貿易拠点として賑わった。築港当時の姿をほぼ完璧に残している港湾施設。
天草市街西方の小高い丘にある、別名「殉教公園」とも呼ばれる公園。江戸時代初期の寛永14年(1637)に起こった島原・天草一揆の戦没者をまつる「殉教戦千人塚」や、島原・天草一揆で使用された武器や国指定重要文化財の天草四郎陣中旗などを展示する「天草キリシタン館」などがある。桜の咲く時期には、多くの花見客で賑わう。
明治時代、英語教師として熊本に赴任した小泉八雲の最初の住居。『知られざる日本の面影』『東の国から』を執筆した地としても有名。所要20分。熊本市指定文化財。
八代城主3代松井直之[まついなおゆき]が生母のために、元禄元年(1688)に建てた茶室。室内は非公開だが、四季折々に花が楽しめる風雅な庭園があり、特に6月の花菖蒲はみごと。また、敷地内の宝物展示場では、茶道具や肥後の絵師による書画など、松井家先祖伝来の家宝が鑑賞できる。
天保3年(1832)建造。天草市本渡地区の中心を流れる町山口川に架かる長さ28.6m、幅3.3mの石造桁橋(国指定重要文化財)。砂岩質の下浦石とよばれる地元の石で造られ、大きな特徴は橋脚が45本もある多脚式だという点だ。現存する江戸時代以前の石造桁橋としては最大級のもの。
宮本武蔵の銅像と「新免武蔵居士石塔」と記された墓石があり、剣聖宮本武蔵の墓所の一つ。武蔵広場ゾーン、日本庭園ゾーンなどがあり憩いの場として親しまれている。
嘉永7年(1854)にできた日本最大級の石造りアーチ式水路橋。阿蘇南外輪山の南側の丘陵にある通潤用水の一部で、国宝に指定されており、橋長は約78m、橋高は約21m。石橋中央部の放水口から水がアーチ型に豪快に噴き出す姿がよく知られている。放水日や橋上からの観覧(有料)については、通潤橋公式HPを要確認。橋そばには、橋上観覧の受け付けをする物産館がある「通潤橋ミエルテラス」や立体模型や映像で橋の構造を紹介している「通潤橋史料館」もある。
わが国最大規模の炭鉱施設で、日本の近代化に大きな役割を果たした。第二堅坑櫓、巻揚機室などの遺構が残り、当時の賑わいをしのばせる。この万田坑を含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は、平成27年(2015)にユネスコ世界文化遺産に登録された。巻揚機室や竪坑櫓、炭鉱電車などが見学できるほか、展示施設の万田坑ステーションでは、万田坑に関する歴史や基礎知識を展示資料やジオラマ、VR視聴コーナーなどで紹介している。
細川家三代(肥後藩初代)忠利の弟、刑部少輔興孝[ぎょうぶしょうゆうおきたか]が興した、細川刑部家の武家屋敷。全国有数の上級武家屋敷としての格式をもっている。市内の子飼にあったものを平成5年(1993)熊本城三の丸に移築復元。建坪は約300坪。家具や調度品に当時の武家の暮らしが偲ばれる。県指定重要文化財。
日本三名城のひとつといわれ、国の特別史跡に指定されている。明治10年(1877)の西南戦争の際、大天守などが焼失したが、石垣や宇土櫓(国指定重要文化財)をはじめとする各櫓が往時を伝える。今の天守閣は昭和35年(1960)に再建された。平成28年(2016)に熊本地震で被災したが令和3年(2021)に天守閣の復旧が完了し、全面リニューアルした展示と最上階からの眺めを楽しめるようになった。
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