ロマンティッシェ・シュトラーセ記念碑
ドイツのローテンブルクからフュッセンまで続くロマンチック街道に由来して、「日本ロマンチック街道」と名付けられた上田から草津を経て日光まで続くルートの記念碑。
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ドイツのローテンブルクからフュッセンまで続くロマンチック街道に由来して、「日本ロマンチック街道」と名付けられた上田から草津を経て日光まで続くルートの記念碑。
国の重要文化財に指定された本館、別館、茶室からなる近代和風の木造建築物。数寄屋風造りの本館は明治17年(1884)に迎賓館として建てられ、明治天皇をはじめ多くの皇族が滞在した。書院風建築の別館は明治43年(1910)に一府十四県連合共進会の貴賓館として建てられた。
明治26年(1893)に建設された離宮。皇室の避暑施設として利用された。昭和27年(1952)に建物は焼失し、現在は群馬大学伊香保研修所の敷地となっている。玄関で使用された沓脱石が当時のままの場所に残る。
高峰三枝子[たかみねみえこ]が歌った昭和初期のヒット曲『湖畔の宿』にちなんで記念に造られた公園。榛名湖と榛名富士を一望する展望広場には、「乙女の像」の彫刻ほか、自動センサーでメロディーが流れる『湖畔の宿』の歌碑がある。
約400年前に建てられた堂。三間四方の茅葺き屋根に唐風様式の建築は、重厚な雰囲気。堂内には温泉で病気を治す祈願を込めた薬師如来が安置されている。堂の隣りにある「御夢想[ごむそう]の湯」(9~15時)は、無料で利用できる共同浴場で、地元の人にも愛用されている。
ベルツ博士胸像の傍らに建つこの句碑は、俳人 水原秋桜子がベルツ博士の遺徳をたたえて詠んだものである。
新治村に近い大道[だいどう]地区に残る豪農の屋敷。芽葺き、入母屋造[いりもやづくり]で屋根の正面が平兜造の堂々とした江戸時代後期の建物。1階の土間には4つの馬屋があり、2階は養蚕専用の部屋になっている。当時を代表する大型養蚕農家の遺構として貴重なものだ。名主を務めてきた名家でもある。
江戸時代初期に井伊直政[いいなおまさ]が築城。現在は乾櫓[いぬいやぐら]・東門の遺構が復元されているほか、外堀は桜の名所として親しまれている。城址一帯には、群馬音楽センターなど多くの文化施設のほか、21階建ての高崎市役所が立ち、最上階に無料展望ロビー(時間:8時30分~22時、休み:無休)もある。
明治の文豪・徳冨蘆花の生涯と、作品の軌跡を展示紹介する記念館。代表作『不如帰』[ほととぎす]の初版本をはじめ、書簡や当時の写真などが見学できる。展示館とは別の木造建築の記念館は、蘆花の定宿で、臨終を迎えた旅館・千明仁泉亭[ちぎらじんせんてい]の離れを復元したもの。所要時間1時間。
かつて信州街道の要所だった関所の跡地。国定忠次がこの関所を破り、のちにはりつけに遭ったことでも有名。併設の八角堂は休憩スペースとして利用できる。
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